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	<title>Lügenlernen &#187; 映像／写真</title>
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		<title>ショークヴァへ向かいながら。</title>
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		<pubDate>Sat, 24 Jul 2010 21:16:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。 こんな天気の時はいつも北ヨーロッパあるいは中欧を旅している時を思い出す。オランダはアムステルダムにはじめて降り立った時。もう十年以上前になる。アメリカ周りでついたオランダは雨にぬれていた。雨がふりしきったアムステルダムの中央駅に立って、はやいとここんな街から出て行かねば、とおもったほど分厚い雲に覆われたアムステルダムは憂鬱な雰囲気しか伴わなかった。その後むかったバルト三国では雨にふられたかとおもえば、４月頭の大雪にも襲われ、エストニアのタリンでは日中でもマイナス20度近くの寒さにもなった。 そんな中でもポーランドは特に曇り空が特に似合う。というよりも、小生が当地を旅する時、いつもそこは曇り空。雨はふりやまず。寒さに震えた夜行列車の中。ポーランドに太陽の日差しは似合わない。小生の記憶の中のポーランドでは特にそうだ。 ウクライナにはこれまで2度いったことがある。2005年の10月と2009年4月。どちらも旅の前半は天気にめぐまれるも後半は雨が降り続く。キエフ、チェルニーフィッツィ、リビウ、すべて曇り空の下。周りになにもない、鶏が道ばたを飛び跳ねる端はガリチアの曇り空の下。それともそれはブコヴィナだったか。ウクライナ側の北ブコヴィナにいた三日間。ルーマニア側の南ブコヴィナにいたのは2008年の春。その時もひたすら雨に降られた。2005年10月の北ブコヴィナは信じられないぐらい肌寒かった。宿をとったチェルニーフィッチの宿にはバスタブがあった。水道の蛇口から流れる湯はひたすらくさかったが、それでもバスタブに身を沈めて暖まった体でその日は熟睡した。 2009年4月。長い曇り空に覆われたベルリンの3月が過ぎ、4月になって突如夏模様のベルリンを後にし、小生はクリミアへ一路向かっていた。シレジアの地を貫く高速道路の上は青空。一転ヴロツワフから夜行列車で一睡も眠れぬ一夜をあかして着いたプシェミスルの中央駅はやはり曇り空の下だった。国境の駅到着の前の夜行列車はウクライナへと帰る労働者たちの群で満員だった。夜行列車を降り、駅の裏側へと急ぐのは他の誰もが同じ。向かう先はウクライナへの国境通過点。欧州連合の最東端にある場所の一つ。 国境の検問所の上の空は今にも泣き出しそうだった。これから向かう先はウクライナ。多少のメランコリーは必要なのだ。さもなくば、これから出くわすことになるガリチアの憂鬱な大地には到底堪えられない。 国境を越えた小生を出迎えたのは、3年半前と特に変わらないウクライナの国境の街の風景だった。シェンヒーニ。ロシア人はシェンギーニというはず。ウクライナ語とチェコ語、むしろスロヴァキア語に見いだせる類似点。その点にウクライナは中欧の一部だと感じさせられる。 リヴィウ到着後も雨が降りしきった。宿に荷物をおろしても、小生は夕方雨が降り止むまで宿を出なかった。その次の日も朝から雨が降りしきった。その翌日はクリミアに一路向かうことになっていた。空路で。帰り道、再度リヴィウを経由することは明らかだった。帰り際に天気が好転していればまた街歩きに繰り出せるだろう。そう思って、リヴィウから少し出てみようとおもった。 こうしてショークヴァというリヴィウから北西に２０㌔ほど離れた町へ向かうバスの車上の人となった。Zhovkva、 ウクライナ語の綴りで、Жовква、ポーランド語、Żółkiew、イディッシュ語ではZholkvaと綴る。ガリチアはヨーロッパでも一番ユダヤ人の人口の割合が多い地域だった、もちろん1940年代までの話だが。1945年までのガリチアの民族地図はポーランド人とウクライナ人とユダヤ人で三分割できるほどだった。ニューヨークタイムズのホームページにこの街を紹介する興味深い記事があるので興味のある方は一読あれ。 ショークヴァへと向かう道筋はやはり雨にぬれていた。曇り空と湿ったガリチアの大地を見る以外になにも起らない30分ほどのバスの旅の後、ついたショークヴァは街というよりも村だった。村というよりは多少大きい。かつてオスマン・トルコとの戦いで名前をなしたヤン・ソビェスキの曾祖父であるスタニスワフ・ジュウキェフスキの居城のあった街でもあった。そんなポーランドのシュラフタSzlachtaによるトルコやロシアとの戦いのために作られた城や要塞はガリチアにはいまだ多数残っている。もちろん、多くは廃墟として自然にかえりつつあるが。 小生の乗ったバスはバスターミナルというにはあまりにもひなびたただの駐車場の片隅に止まった。雨はいつのまにかやんでいた、と記憶している。バスから降りた小生を迎えたのは数匹の野良犬だった。早速吠えかけられた。人工衛星のように小生のまわりをぐるぐる周りながら吠えかけていた彼らも、小生からは何も期待できない、と見て取るや、また停車場の片隅にまた座り込んでしまった。 退屈しきった犬から解放された小生は停車場を後にして、歩を進める。目の前には黒ずんだ外壁の、古い建物が街路樹の間から姿を現わした。一目でそれがシナゴーグだとわかった。それにしてもこの小さな町にしてはなかなか華やかなファサードをもった一目でそれが歴史のある建物であることがわかった。ルネッサンス式の。このシナゴーグは17世紀末に建造されたらしい。ガリチアにあるシナゴーグはこんな様式のものがおおい。ポーランド側の国境をまたいで100㌔と離れていないザモシチにも似たようなスタイルで建造されたシナゴーグがある。ザモシチはもちろん中欧を代表するルネッサンス式の街。ショークヴァもほぼ同時期に建造されたルネッサンス式の城がある。 それでもその城は廃墟も同然だった。多分、１０年もたてば変わるだろう、いやなにも変わらないのかもしれない。ここは地の果てなのだ。中欧の果てにはもうそんなメランコリーがいつもある。いつも違う場所で。でも同じメランコリーを味わうことになる。 そんなメランコリーはいつもそんな雨降りの空の下の湿った大地にいる自分を思い起こす時に突如呼び起こされる。雨にぬれたショークヴァのシナゴーグを思い出しながら、ベルリンの今現在の曇り空はあのガリチアの曇り空と朽ち果てるのを待つだけのシナゴーグのある街並みへとつながっているのだ。そして、その町並みの向こうにはなにがあるのだろう、と想像する。それが知りたくて、いつもベルリンからは東へと向かう。そんなものだ。 では又自戒。夏がまたくることを願いながら。]]></description>
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		<title>俺。俺。俺。俺。俺。その５</title>
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		<pubDate>Sat, 29 May 2010 09:35:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<category><![CDATA[中欧]]></category>
		<category><![CDATA[思想／哲学]]></category>
		<category><![CDATA[映像／写真]]></category>
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		<description><![CDATA[旅行することがなによりの趣味であり、もはや生業のひとつとなっているのにもかかわらず、これは自分が一人で旅しはじめてから相変わらずなのだけれど、その旅という個人的体験、いわゆる旅行記なるものを綴ることが未だに面妖でしかたがない。いまだ完成されない過去の旅行の記憶を目の当たりにして、それが自分の肉なり血となっていること、ロゴスという別のフォーマットに、自分の記憶の中にある体験の一コマ一コマを移し替えるという作業の意義を、疑う余地はないのだけれど、それをどう移し替えるか、つまり、言語という形式で書き出す作業はいうまでもなく、それをどのような形で整理し直すか、ということが、この作業の最大の難関の一つなのだ。どこを旅していつどこでなにをみたか、どのような道のりをたどったか、というような記録を残すのは、書き始めはいいとしよう、しかし、段々と面倒になるし、時間が経つにつれて記憶は曖昧になるし、作業自体は正直なところ面倒だ。それにその作業自体はあまりにもありふれている。小生は面倒くさがりの物臭者なのである。 とこうして、自分の気の短さへの言い訳に変えようとするのはあまりにも見え透いているけれど、それでも、自分でも必要と確信している一つの記憶とロゴスのひねりをできるだけ和らげるこの作業の効率性や、もとい、もっともこの作業でもっとも重要であるはずの要素の一つである継続性を向上させるには、どうしたらよいのか、ということを最近ずっと考え続けている。 これはあくまでも個人的な問題で、これを解決できるのは、やはり、この体験とロゴスの中間点、いや境界線上に位置するはずの「おれ」であり「小生」の問題なのだ。しかも、これはやっかいなことに「書く」ことをはじめなくてはどうしようもない。「書く」という作業を始めなければ、この「個人的」な問題は「個人的」ということもできないのだ。このいまこの「小生」によって「おれ」と名指された一点は、にもかかわらず、書かれているものの中には、どうしても、間接的にしか現れない。 例えば写真を例にとってみよう。写真という媒体の中に映し出されたものにはどうしたってそれをとった「撮り手」の存在はないし、あらかじめ消去されている。セルフ・ポートレートというのが写真のジャンルとして存在するが、フィルムの上に自分の存在を焼き付けるファインダーを通してあるはずの眼差しがそこでは欠如している上、そこには撮り手である自らの視線の存在はない、自分で自分を直接見ることはやはりできない、つまり、そこに映し出された自分の姿はもともと自分が見ているのではなく、カメラが見たものなのだ。そこへと自分の姿がフィルムの上に焼き付けられたのに過ぎないのだ。写真にも、ロゴスが避けて通れない、「ひねり」のようなものが存在する。自分が見たこととカメラを通して見たことが同じであるはずがないのだ。 ヴィトゲンシュタインが論理哲学論考の中で述べていたが、「私」とは所詮、ロゴスあるいはロジックによって構成されたこの現実、事実世界の間のあるかどうか分からないようなただの点でしかない。そして、それは世界には存在しないし、世界からは排除されていると。ただ、しかし、それでは都合がわるいというので、便宜上そこに世界と「自分」という世界の結節点として「私」であり「おれ」という存在が持ち出されるというのだ。もちろん、これが「おれ」という存在がなければ、「自分」は「世界」と関わりを持つこともできないからだ。それでも、「おれ」は限りなく世界の中に現れをもたない、というのはやっぱり普通は信じ難いはずだ。そんなはずはないだろうと誰もが考えるだろう。 この点をかの20世紀ポーランドが生んだ一人称の帝王ゴンブローヴィッチ様は最高の形で表現していた。彼は、戦時中アルゼンチンでヨーロッパに帰りたくも帰れずにいるころから、ヨーロッパに帰還し死去するまで30年間にわたって書かれた日記を残していて、そのうちの大半は出版されている。相も変わらず日本では翻訳出版される気配はなし。それはともかく、彼の日記はこのように始まる。 月曜日。オレ。 火曜日。わし。 水曜日。おいどん。 木曜日。僕。 といったように。フィッシャー版の独語訳ではこうだった。 Montag. Ich. Dienstag. Ich. Mittwoch. Ich. Donnerstag. Ich. 今度はゴンブロ様御自身による朗読で。 要するに、ヨーロッパの言語では一人称を表現する人称代名詞はどの言語も一つずつしかない。ところが日本語では小生がおもいつくだけで以下の通りともなりうる。 私。僕。俺。あたい。あちき。わし。おいどん。小生。拙者。手前。朕。臣。まろ。我が輩。わい。わて。ミー。うち。あっし。ぼくちゃん。ぼくちん。余。それがし。みども。わらわ。本官。 多分、ゴンブロ様の日記の最初の4日分はどうしても翻訳不可能なのだ。というわけで、これがもっと適切な訳だろう。 月曜日はウンジャラケ。 火曜日はハンジャラケ。 水曜日はすいすいすい。 木曜日はもーりもり。 （以下余分だがこのさい最後まで歌ってもらおう） 金曜日はキンキラキン。 土曜日はキンキラキンのキンキラキンのキンキラキンのキン 日曜日はランラランララン ウンジャラケのハンジャラケ、すいすいすいのもーりもり、 キンキラキンのキンキラキン、ランラランラランで１週間。 まあ、ともかく、この点を通して、過去のこと、つまり、「自分」と「世界」の「おつきあい」の記録をロゴスという方法でもって整理する方法はいくらでもある。 それが面倒くさければ、写真という方法でもよい。こんな便利なものはないけれど、他人にとっては、こう自分がみたという可能性の提示でしかないし、その上、写真という完全には自分では掌握不可能な技術のきまぐれにも左右される。それを可能な限りコントロールできるかどうか。その上、そこに映し出されたものを、そこにあるものとして、現実にあったと信頼できるか、という問題もここでは浮上してくる。それだけの問題であるのだけれど、こんなことに気を払うやつはただのヘンコである。しかし、そういう倒錯というものに意志的に依拠しない限りは、写真とはそういうテクノロジーに体よく身を挺したただのおめでたいおべんちゃらでしかない。 写真はたとえば、コマゴトの撮影した時間さえを記録さえしていれば、もしくは、そんなことをしなくてもフィルムやデジタルカメラならとったそれぞれのコマがなす時系列を保証してくれるようなものだ。とはいえ、フィルムの中にある一コマがそれぞれ単独で呈示されるなら、その連関性はないにひとしい。なにも保障しない。写真のいつどこでとったかということは、どのみち写真のネガ自体にはかきこまれることはない。写真というものは、ネガの中にあらわれたもの、それ以上でもそれ以下でもない。何をみたかという記憶の補助になることはあっても、それ自体が記憶であることはない。それを撮った人間とそれをみる人間がいないと成立しない。だから、それ自体が記憶であるということはありえない。記憶を媒介するもの、変形するもの、伝えるもの、様々な形で次々と転送する、ある種のフォーマットになりうるという可能性の中でしか存在しえない。 過去の再構成ということでのロゴスという方法についてまた戻るけれど、そこで一番簡単なのは、時間軸にそって、出来事を忠実に再現していくことだ。この方法は、しかし、簡単なようで合理的なようで実に面倒くさい。というのは、人間の物事や出来事の記憶とは、実は、それほど、ひとつの軸やフォーマットにそって整理しつくせるようには簡単にできてなどいないからだ。もっと複雑で整理も一見あたわないように錯綜しているのが、人の記憶という装置なのだ。 多分、その点について。写真という視覚的補助にたよらず、どのようにして、視覚的記憶（そんなものはそもそものところあるのだろうか）を再現するか、それが当面の課題。山のように取り散らした写真のフィルムの整理は結局のところ、自分の記憶の整理である以前に、過去の自分との対決の一端であり、そもそものところ、一端でしかない。現在という瞬間に写真というものは追いつかない。いわんやロゴスもをや。それでも、言葉の優位を疑わない人もいる一方で、見えることしか信じられない人々も多い、というか、大多数か。 それでもなぜゆえ、小生はカメラを今日も握るのか。ロゴスに写真は追いつくことはない、と固く信じていたにもかかわらず。 今日はこれでおしまい。閑話休題。ではまた自戒。]]></description>
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		<title>ベルリンを聴く。Weinerei, Fehrbelliner Straße, Berlin-Mitte, 2010年3月1日。</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Mar 2010 20:03:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<description><![CDATA[昔日本にいるころ良く集音マイクとMDをもってよく東京都内津々浦々をサンプリングと証しながら色々音を集めてまわっていたのだけれど、そんなこともベルリンに来て以来、いつしかしなくなって久しい。最近、いつももって歩いていたフィルムカメラが二台とも壊れて、すでに2ヶ月くらいになるのだけれど、そんなわけで写真もとらなくなった。デジカメは相変わらず持ち歩いているのだが、当然のことながら満足のいく像はえられないし、最近はやたら動画をとることにしか使っていない。 とった動画の映像をみていると、（いうまでもなくデジカメの動画機能でとったものだから像の質は当然のことながらよくはない）、意外や意外、録音された音の方にこそむしろ関心がゆく。人間の目とカメラとの関係同様、人間の耳とはまた別の音をカメラは録ったりもする。そしてその録った音からその音が録れれた場所の像をイメージする、そして、ロゴスから出力する、という作業を今、バルカンでとったビデオを見ながら行っている最中なのだけれど、それを突然ベルリンでもやってみたくなった。 音から実際その音が録られた場所をイメージするには、実際に聞こえたこと、そして、録られた場所などの限られた情報から推理するしかない。それこそ、自分の想像力の随を総動員しなくてはならない。あたられたイメージからではあたられたイメージ以上のことを膨らませることはできない。聴くということからイメージを形象するには相当の想像力が必要なはずだ。しかし、音も、ある一つの場を織りなすひとつのイメージの構成要素となる。そんな人間の知覚のうちのひとつから一つの街の像なるものを作りだす、そんな試みをいつかはやってみようとおもってなかなか実現しなかった、あるいは、そういう機会にめぐまれなかったいうべきか、技術的な問題もあって、そんなわけで録った素材もで忘却の淵。そういう素材もそのうち復活させることも考えながら、ここのところ肌身欠かさず持ち歩いているipodtouchについているヴォイスレコーダーで試しにそのカフェの音を録ってみれば、おもった以上にかなり音がひろえることがわかり、今日のベルリンの日常初サンプリング。場所はMitte最後のDigital Bohemienの拠点のひとつ、もといこの界隈の古典ともなりつつあるWeinerei Cafe。なにが聞こえるだろう？どんなカフェを想像する？ ではまた自戒。]]></description>
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		<title>我、写真を信ゼズ 。(２) カメラのない日々。</title>
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		<pubDate>Sat, 27 Feb 2010 23:11:53 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[カメラのない旅は気楽だと思う。10年以上にわたって写真を全く撮らなかった。その間に世界中それほどでもないけれど、色々いった。足をとめるとような対象があれば、それを穴があくまでみてやろうとする。そして、気がすめばゆく。気がすまなければ、そのままずっと気がすむまでいればいい。カメラがあると、どうもそこまで対象をみてやろうという気がマックスでそのカメラがないときと比べても半分ぐらいなような気がする。それでもいいだろう。カメラの目と小生たち人間の目は根本的に作りが違う。そのカメラの目にゆだねてみるのも一つの方法だろう。でも、小生はそれに我慢がならなかった。我、写真を信ゼズ、と。 そんなカメラのない旅を21世紀が始まるあたりから何度もつづけてきた。イタリアを北から南へ一ヶ月以上もさまよったこともあった。でも、一枚も写真をとらなかった。今でも自分がどこで何をみて何をしたか、正確に再現できる自信がある。ニューヨークで一ヶ月なにもしないでマンハッタンの北から南まで通りから通りを歩き続けたこともあった。そこでも、写真は一枚もとらなかった。その間、あたかもカメラなどこの世には存在しないもののように思っていた。でも、どこから毎日どこまで歩いたかはほぼ覚えている。日中でもマイナス20度以上の酷寒のテレジーンの人気の全くない要塞の小さな窓から軒先に凍った氷柱を眺めながら床に横たわって、そこの静寂に耳を傾けていた。５分もたたないうちに寒さに耐えきれなくなり、静けさの中に自分の体が震える音を聞きながら、ここで暖房もなく５分どころではない時間を過ごさなくてはならなかった人たちのことを考えはじめた矢先、どかどかと独逸人観光客の団体がはいってきた。そしてデジカメのシャッター音をいっせいに鳴らし始めた時、俺の静寂をかえしやがれ、このナチ野郎どもめ、とおもわず日本語で叫んだ。相手がなにもわからないことをいいことに。彼らはおそらく小生の怒りを直観しても、なぜ叫んだのかまでは絶対に理解できなかったはずだ。その時、カメラは戦争や弾圧、権力の道具にもなりうるとも直観した。それどころか、記憶や弔いという行為すらも踏みにじるのではないかとも憤った。スカンジナビアで一ヶ月以上過ごしたこともあった。深い森のなかを早朝まだ暗いうちから散歩し、その森の抜けた先にあった湖の向こうからとても美しい朝焼けと朝日が昇ってくるのを見たこともあった。言語を絶した美しさだった。万里の長城の北側の乾燥した大地にある石窟群を訪ねたこともあった。ひたすら巨大かつ精巧な仏陀をみて圧倒された。カメラはもちろんなかった。その巨大さとそれに圧倒されたことは今でも体が精巧に記憶している。写真などどうでもよかった。カメラなどあるだけ邪魔だった。意地でもあった。徹底的にカメラを嫌悪した。そして、写真をとっている人間を睥睨し続けた。それはエゴイスティックでもあった。同時に、エゴと自分の記憶との戦いでもあった。 最近手元にあったカメラが二台とも壊れて、もう２ヶ月以上もシャッターをきっていない。その間、書くこともせず、なにもせず、本をよむこともなく過ごしてきた。ぼんやり大学にいきゼミに出てしゃべってなにかを考えた。カメラはなおせばいい、そうすればいいだけの話でもある。その間もデジタルカメラを持ち歩いて時々それをつかって像をとるけれど、満足のいく像はとうてい得られない。デジカメはあきらめて、古い現像済みのフィルムをもってひさびさに暗室にこもろうかと思いかけたその先、年内まで関わってきたフンボルト大学のAudimax占拠も終わった。そして二週間もたったころ2月の半ば、ふとまたAudimaxに一人足を踏み入れてみようと思った。誰もいなかった。ひたすら静かだった。強いていうなれば、ゴミの掃き溜めのように汚かった１月の半ば頃と比べると、床には塵一つ落ちていなかった。昨年末、クリスマス・イヴの夜、暖房も落とされ、ひたすら底冷えのするAudimaxで天井をじっとみつめながら眠れない夜を過ごした時となんら変わらなかった。寝袋に潜り込みながら、ひたすら早く朝になれ、朝になったら日本行きの飛行機が待っている、と念じながら朝を待ったことを思い出しながら、しばらく、Audimaxの最後列の席にすわって、放心しながらじっと正面はなにもない空っぽの舞台の上を見つめていた。占拠中には、他の大学からの応援メッセージやスローガンが書かれた横断幕などで埋め尽くされていた舞台の背後の壁はもうなにも語りかけてこなかった。Audimaxの中には誰も入ってこなかった。じっとその静けさを聞いていた。携帯がなった。携帯をズボンの後ろポケットから取り出すために、席をたった。そのままAudimaxを立ち去った。それ以来、Audimaxには立ち入っていない。もう二度いくこともないのだろうか。あの奇妙な静けさがいまでも空っぽになったAudimaxと記憶の中で分け難く結びついている。 しばらくまたカメラなしで過ごしてみようか、かつて10年間そうすごしていたように。そして、書くことに、自分のロゴスと脳裏に焼き付けられたイメージのみに、全神経を集中する。一度、試してみる価値はあるだろう。そこまで意識的にしたこともないのだから、いままで。そうしてみよう。 今日も大言壮語がすぎました。ではまた自戒。]]></description>
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		<title>我、写真を信ぜず。2004年7月20日、朝９時半。デュレス、アルバニア。</title>
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		<pubDate>Thu, 25 Feb 2010 13:46:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<description><![CDATA[６年前は写真など全くとっていなかった。高校生の時、もうすでに12年以上前、ひねくれていたほどではすまなかった小生は、かつてそれをつかっていやというほど写真を撮り散らしていたキャノンのFtBをある日突如机の中奥深くにしまいこみ、突如写真を憎悪するようになってしまった。3年前の夏京都の実家に帰ったおりふとしたことから、引き出しから再び取り出すまで。なにがきっかけだったのかは全く覚えていない。 ６年前は約2年のブランクをおいて、ひさびさにバックパッカー復帰を果たした年でもあった。ベルリンにやってきて二年目。一年目は旅行どころではなかった。その前の年2002年は、ベルリンと京都と東京を行ったり来たりする生活。東京を離れる決心をして、ベルリンにやってくるもそこでは苦労の連続。住居も定まらず。大学がようやくきまり長期滞在用のヴィザも取得し、ようやくベルリンでの生活が軌道にのりはじめて2年目の2004年の夏は全く晴れ間がでないほど、夏といえないほど天候。そんななか、７月になり突如ドイツ人の親友Sがバルカンにいかないかと誘ってきた。 どこへ？ アルバニア。 乗った。 その一週間後、僕らはクロアチアのドゥブロヴニク空港の前に立っていた。日本人男、身長180センチ、独逸人男、身長168センチの超デコボココンビ。そこから二週間ほどに渡るバルカンの放浪がはじまった。モンテネグロ、アルバニア、ギリシャ、アルバニア、コソヴォ、モンテネグロ、クロアチアという順に。初めてのバルカンはなにもかも新しかった。中東欧マニアを自称していた小生にとっても、ポーランドやチェコとは全く異質の世界だった。その旅のハイライトはいうまでもなくアルバニアだった。ヨーロッパ最貧国の名にふさわしくアルバニアは小生にとっては衝撃の連続。いまだに滅多にいけない所にいったかなと思う。旅のみちずれであった友人は中東並みか、とぼやきまくっていた。 ６年もたてば、記憶もうすらいでいくものの、その旅行では実は写真をとるかわりにヴィデオカメラをまわしていた。今日ひさびさにそのテープをおこしていて見ているうちに、ふと当時旅行中日記をつけていたということに思い至った。探し出すのに小一時間程かかったものの、今日はテープを起こしながらこれをずっと読み返していた。それにしてもカメラの調子がおかしい。音声がでない。多分、デジタル化おいたほうがいいのかな、と思う。これから暇のうちにやっておこう。 毎度のことながら、無精なので2週間のうち4日間しか日記をつけていなかったが、支出はだけは毎日かかさず記入していたようだ。これだけでもこの旅行の間の様子が垣間みれるというものだ。 日記の中で６年前の小生は写真への不信感を語っていた。日記のことなどわすれていたが、それだけでも今日の小生には大きな示唆にもなるはず。そうおもい日記を活字に起こし直す作業をはじめた。 一回目はアルバニアのデュレスにて。 Größere Kartenansicht ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ７月20日（火）デュレス・アルバニア　AM9:30 なんでか知らないが、今アルバニアいてる。朝シャワーを浴びて、なにもすることがないのは、誰もおきてこないからだ。でも、こんなに落ちついた朝は久しぶりなような気がする。というのは、こんなに日差しの多い朝が本当に久しぶりのせいもあるかもしれない。思えば、僕のベルリンの家は朝全く日が入らない。フランチィの家もそうだった、昨年。まだ、それほど暑くもないが、すでにけだるい夏のどとりとした空気、でも、それはなんら不快なものでなく、なにがしらときほぐされたような空気でもある。日本にいるときもそうだ。夏の朝はいつもこんな感じだ。とくに、夏休み、７月、８月のこれからとても暑くなるだろう日の朝は。なにもしなくてもよいという開放感というのは気分がいい。なんの不安もない小学生の時、もちろん、僕らの場合、塾通いとかで、そんな気分になれなかった時のほうが多かったはず。例えば、週末のなにもない日の朝であるとか、少なくとも小学生の５、６年の休みというのは、そうした朝があっただけでも救われたような気分になったものだ。そう考えるといかに自分が常に緊張感を強いられていた生活を送ってきたことが分かる。 今こうして、何もせず、何の不安もなく、こうやってアルバニアの港町で日記をつづれるのは、そのときのことを思えば、とてつもない贅沢だ、もちろん。あれはいったい、なんだったのだろうと思う。投資と言うことに例えれば、時間と身体と肉体を緊張をつぎこんだにしろ、あれは、いったいなんだったのだろうと思う。無駄だったのだろうか、反面教師的、少なくとも、自分をどういう風に育てるとか、ということを、決定する上では重要だったのかもしればいが、それにしても、あの時の時間が帰ってくるわけでもない。それでも、無駄などとは、もはやいまさらのことに過ぎないだろう。 思わず、脱線。夏の長い一日への朝のけだるさについて書くはずだった。ともかく、ありがたちのは、この太陽。ベルリンでは味わえない。日本で得られなかったもの、時間、余裕、様々。一方、日本に置いてきたものも多々あるけれど、一番のものは、この夏の日差しの厳しさであり、そのありがたさだろう。久しぶりにそれを思い出して、少し日本がなつかしくもなったが、しかし、日本の夏は大変だ。また、夏の朝のけだるさについてはまたの機会にゆずるとしよう。少なくとも、バルカンにいるうちに、それを忘れずに。日本に近々それを取りに帰るとしよう。暑さにへこたれて、またベルリンが恋しくなるだけだろうか？ ではまた自戒。]]></description>
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		<title>イスタンブルでの７時間</title>
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		<pubDate>Tue, 19 Jan 2010 16:43:22 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[多分小生の脳内にはGPSのようなものが構築され続けているのだと思う。というよりも、それに似たようなシステムが、小生が地図を眺めるようになって以来、ずっと更新されているのだろう。 幼稚園のころの小生の趣味。地図を眺める事だった。今でもグーグルマップを暇なときはずっとみている。グーグルアースはそれほどすきじゃない。二次元じゃないので。 小生は、一度も道を間違えた事、というよりも、地図なしに歩いて行き先にたどりつけたなかったことがが無いのが自慢。イスタンブルでも東京でも道に迷った事が無い。それか、道に間違ってもうろたえない太い根性の故なのかなんなのか。地図を見ながらあるいたことはここ数年記憶にある限りない。 地図を見るのは、歩く前にざっと。街がどんな形をしているか、そして、道々がどのように入り組んでいるか、ということをざっと頭の中にいれる。 そして、歩いたあとに時間をかけて、歩いたルートをたどり直す。グーグルマップにある小生のマイマップは小生の脳内GPSの構築過程でもある。 今回のルートを再び。 7 hours in Istanbul_Jan.2010 auf einer größeren Karte anzeigen それに、今回試験的に歩きながら小生のしょぼい3年前ほどの前の安物のキャノンのデジタルカメラを体の向きにあわせてただまわしてみたクリップをつけてみた。ぶれまくり。もうちょっとうまいこととれるようにせなあかん。 Part 1 7 hours in Istanbul Part 1 from Lügenlernen on Vimeo. Near to Bazaar in Istanbul, 15.1.2010 Part2 7 hours in Istanbul Part 2 from Lügenlernen on Vimeo. Early in the morning around 8 o&#8217;clock near to Bazaar, [...]]]></description>
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		<title>小生、イスタンブールで三たび兄貴にお茶に呼ばれる。</title>
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		<pubDate>Sat, 16 Jan 2010 16:35:41 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[2008年夏トルコ/グルジア]]></category>
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		<description><![CDATA[16日、東ヨーロッパ時間、午前7時5分。小生ベルリンへの帰り道、イスタンブールはアタチュルク空港にたつ。 着陸から（以後省略）20分後、小生は市内アクサライ行きのメトロの中。 1時間後、とりあえず、大学前の停留所でトラムを降り、バザール周辺から歩き出す。 とりあえずの目標。ガラタ橋。エミネニュEminönüの船着き場。カラキョイKaraköyとアジア側、小生にとっての敵地であるカディキョイKadiköy往復（小生はガラタサライファンゆえ。カディキョイはガラタサライの永遠のライバル、フェネルバフチェの本拠地）。そして、聖地ガラタサライ巡礼(前回の巡礼の模様はここより、もしくはこの昨年3月の書き込みから）。そして、べヨジュル界隈を可能な限り歩く。うまいトルコ料理を食う。願わくば、イスタンブール兄貴（もしくは姉御）にその飯をおごってもらう。 Going in İstanbul again. Jan.2010おおきな地図でみる 1時間10分後。バザールがまだ空いていないので、回り道をしてエミネニュのほうへ向かう。その途上、兄貴から最初のお茶にさそわれる。朝食付き。はやくも目的達成。 バザール周辺をうろうろ。犬においかけまわされる。ついでなので、彼らをひきつれて、坂を下る。小生、イスタンブール兄貴もとい姉御の注目をあつめる。 1時間４５分後、小生、ついにエミネニュのスパイスバザールにたどりつく。 その５分後ガラタ橋たもと横のエミネニュの船着き場へ。ボスポラス海峡をながめながら、1年と４ヶ月ぶりのイスタンブール帰還を正式に祝う。 橋の上は曇り空。しかし、曇り空の下はイスタンブールは憂鬱かもしれないが、より思慮深く映る。 橋の上はやはり釣り人にあふれかえっている。季節は関係ないか。（下の写真は2008年9月3日早朝撮影。） 約2時間後、カラキョイからアジア側カディキョイ行きの船上の人となる。 約3時間後、再びヨーロッパ側への船上。 その２０分後、ガラタ塔へ向かう坂をのぼりはじめる。ガラタサライ高校周辺をいつも通りうろうろする。気がついたら、やっぱり魚市場とレストランがある界隈に入り込んでいた。 それを過ぎて大きな通りを渡ると、1年４ヶ月前うろうろした界隈にたどりつく。ガス暖房か、それとも薪暖房が多いのか、通りはスモッグにかすんでいる。日本の商店街みたいな通りを下っていく。途中、犬にいじめられる男の子がいるのにでくわす。そばにいた友達は、側にいてその様をみて笑っている。助けてやれって。 4時間20分後、この日二回目のお茶に、散髪屋の兄貴と姉御に招待される。 店の軒にはおもしろい広告が。そしてここはアダム・ミツキエヴィッチ通り。どういう縁があるのだろう、かのポーランドのロマン派詩人と。写真をとっていると出て来たのが上の写真の兄貴だった。茶のんでいけや、兄ちゃん、と。 その30分後、またしても兄貴にこの日三度目のお茶に招待される。 5時間15分後、昼食。イシケンベとグラタンのようなものを食べる。うまい。飲み物込みで、6.5リラ。タクシムから徒歩10分。探せば、安く飯が食えるところがそれなりにあるものだ。 5時間40分後、搭乗時間まで1時間45分を切る。一路、タクシムTaksimからバスに乗って一路アクサライAksarayの駅へ。渋滞にまきこまれ焦る。アクサライからトラムに乗り、メトロに途中で乗り換え空港へ戻る。搭乗時間10分前に出国審査を抜けて、搭乗ゲートにたどりつくまでもなく、肝心のベルリン・ティーゲル行きの飛行機は30分遅れるとのアナウンスが。 着陸からほぼ8時間後、15時15分ごろ。ベルリンへ向けて離陸。さらばイスタンブール。またくる。こねばならぬ。 またその日まで。お茶、ありがとう、イスタンブールの兄貴姉御たち。また自戒。 Flickr PS:今回はヴィデオもとってます。後日、「小生の大逃走：イスタンブール編」と称して公開の予定。]]></description>
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		<title>FAUTE DES FLEURS「花々の過失」</title>
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		<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 13:42:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<category><![CDATA[別世界大阪大探検]]></category>
		<category><![CDATA[映像／写真]]></category>
		<category><![CDATA[友川カズキ]]></category>
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		<category><![CDATA[Kazukuki Tomokawa]]></category>
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		<description><![CDATA[LA FAUTE DES FLEURS (outtakes serie) &#8211; &#8216;pistol&#8217; (beta version) from vincent moon / temporary areas on Vimeo. この人の音楽もだが、久々に言葉で表現できるかできないぎりぎりかの情念のようなものをこの映像から感じた。世界を射抜くような震撼させるような視線、これは多分映像や写真にしかないものの力なんだろうか。僭越ながら、小生はこのミュージシャン、友川かずきのことも全くしらなんだ。 このドキュメントは大阪のミナミで撮影されたのだが、特に小生が敗北を繰り返し続けた場所、山王、飛田といえばどこかおわかり。 昨日も、友人３人と飛田をぶらぶら。その時にそのうちの一人の友人から紹介されたのがこのドキュメンタリー映画。以下トレイラーを三つ。 これでもトレイラー。小生自体はまだまだ自戒が足りませぬ。ではまた。 Produced by Naohito Koike Filmed and edited by Vincent Moon Sounds by Teresa Eggers Mix by Gaspar Claus Shot in Osaka, Japan, february 2009 Kazuki Tomokawa &#8211; A Take Away Show #98 &#8211; [...]]]></description>
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