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	<title>Lügenlernen &#187; 日本文学</title>
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		<title>横光利一｢上海｣と大陸浪人</title>
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		<pubDate>Fri, 27 Mar 2009 00:03:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[日本文学]]></category>
		<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[ここ数年程ずっと読みたい本のリストにはいっていたのだけれど、最近、岩波文庫緑版の昭和初期文学復刻再刊の流れで装いをあらたに書店に並んでいるのを、今年年始日本に帰っている折に発見、この最近のひきこもりさん生活の中でようやく読了した。 しかし、ここ数年かつてほど昭和の初期の文学に食指が動かなかったけれど、最近読んだ小説の中でもダントツでおもしろかった。大正から昭和初期にかけての新感覚派の代表的な存在であった横光ではあったが、今では、彼の同時代人であった太宰や安吾や川端康成などとくらべるとやはり影はうすいしそれほど人気であるとは思わない。 こうした大都会を舞台にした小説は、アルフレート・デーブリン「ベルリン・アレクサンダー広場」、ヘルマン・ブロッホ「夢遊の人々」、アンドレイ・ベールイ「ペテルブルク」、フランスやチェコのシュールレアリストたちの作品など（後者は最近の小生の中では大ブーム）ともに、形式は様々だが、この時代に多く書かれた。つまり世界同時的な流行のひとつだったといってもよいだろう。 そして、「５・３０事件」という当時の歴史的事実や1930年代の上海がかもしだすある種のエキゾチズムを背景に、上海をさすらう三人の日本人の男たちの目を通して多角的に語られるこの横光の上海という街とその時代はまさにカオスの渦。様々な政治的思惑が渦巻く上海の露地をかけめぐるスピード感あるストーリー展開は実に刺激的でもある。なによりも横光の言語感覚は実に映像的だ。例えば、主人公の愛人のお杉がつとめていたトルコ風呂を首になって上海の露地から露地を流れあるく場面はアンゲロプロスとかタルコフスキーの映画の一情景を思い浮かべてしまう。 「・・・彼女は露地を出ると、舗道に閉め出された黄包車の車輪の傍を通り、また露地の中に這入っていった。露地の中には、霧にからまった円い柱が並んでいた。暗い中から、耳輪の脱れかかった老婆が咳をしながら歩いて来た。お杉は柱の数を算えるように、泣いては停り、泣いては停った。彼女は露地を抜けると裏街をながれている泥溝に添ってまた歩いた。泥溝の水面には真っ黒な泡がぶくりぶくりと上っていた。その泥溝を包んだ漆喰の剝げかかった横腹で、青みどろが静に水面の油を舐めていた。」（「上海」岩波文庫版４３ページ） ところで、当時は、「大陸浪人」という言葉に代表されるように、日本から大陸へとぶらりとわたって放浪って一攫千金もしくは大アジア主義先兵になるなんてことが流行った時代でもあった。当時、大日本帝国がすすめていた大陸政策のおかげもあったが、昭和初期の恐慌で職にあぶれたりあるいはボンボンで暇を持て余したような若者が刺激をもとめて、満州や租界のある上海、香港、あるいは青島や大連など、果てはその彼方へと数多く渡っていった。この小説に登場する３人の日本人も厳密には定職があるという設定なので「大陸浪人」ではないが（一人はその途中で職を失い文字通り「浪人」になるが）、その末端に属していたことは間違いない。 そして、中には当地の日本人租界や満州などで、日本軍部、中国国民党、共産党、あるいは欧州列強の間の闇社会で暗躍した若者たちも多くいた。そして、戦後日本経済界や裏社会で暗躍したようなフィクサーとかいわれる大物の中でそうした大陸での「浪人」経歴を経ているものは数知れない。 小生の母方の曾祖父の一人もそうした大陸浪人の末端の一人だったようで、先日祖父とマカオを訪問した際、そういやあ俺の親父は若いころ大陸で浪人してたってなあ、俺の腹違いもこの大陸のどこかにまだおるらしいでえ、というまさに衝撃の事実（笑）をうちあけられた。 そうした中国大陸でぶらぶら浪人なんてことは、終戦後、そして冷戦期には完全に不可能なことであったわけだ。いまでこそ、かつての外国人租界のあった街は、改革開放の流れもあって経済的にはうるおっているのだろうけれど、そうした日本列島からの「大陸浪人」がたちが暗躍した時代、もしくは、ヨーロッパ各国が租界をおいていた時代、それは中国人にとって忌々しい記憶であり時代であったのだろうが、それとはまた別の雰囲気なのだろうが（その点で岩波文庫版の巻末の唐亜明によるエッセイは興味深い）。 最近では、昭和や大正時代の東京を舞台にした映画やドラマの撮影は上海でよくおこなわれるそうな。すくなくとも、日本にはもうあまり残っていないようなその時代の雰囲気を今の街角に留めているのだろう（例えば、大阪ミナミの飛田新地はあの時代の雰囲気が未だに残っているが、まあ、あそこで映画撮影は・・・無理だな）。だからといって、横光の「上海」は、そうしったかつての多言語多文化空間としてのよき時代のきらびやかな上海のみを今にノスタルジックに見いださせたりはしない。なによりも、いまも恐らくたいしてかわらないだろう、雑然としたゴミの掃き溜めのような、あたかも外部を拒むような、そしてはいったら最後出てくる事もできないような迷宮のような露地こそがこの小説の舞台であるし、そんな泥沼にはまりこんでいった当時の「大陸浪人」たちの運命も大陸での理想も、その後の大日本帝国の大陸での末路を暗示するかのように、その時代の行き詰まり感を反映したかのようにニヒルに袋小路へと追い込まれていったところで、この小説は幕を閉じる。この解決のなさ。やはり、上海という街のどろどろした底なしの内部とこの小説のいたるところで表現されているこのぬんめり湿り気のある生の感覚は、やはり横光の言語表現の巧みさにもよるだろう。 とここまで書いてふと思ったのだけれど、ベルリンというのは、今や世界中に数少ない「浪人」出来る場所のひとつではなかろうか。だからこそ、世界中からこれだけの「浪人」願望の若者たちをひきつけるのだろう。ということは小生も現在における「大陸浪人」の末端にて（祖父の言っている事が本当なら文字通り）末裔ということか。いやおいどんは「大陸」でもシベリアをも越えて遥々「伯林浪人」たい。 というわけで、これからも伯林にてますます暗躍していくことにいたします。というわけでまた自戒たい。]]></description>
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		<title>埴谷雄高インタヴュー</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Feb 2009 12:22:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本文学]]></category>
		<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[先日、近所のYさんと晩飯を食いながら話しているうちに、埴谷雄高の「死霊」の朗読が９０年代半ば（ということはまだ死去前か）にNHKのラジオで放送されていたらしいという話になった。それで、今日の午後中、実際にポッドキャストとして配信されていないかと色々調べてみたのだけれど、ちょっと見つからない。ご存知の方、情報乞。 そのかわりではないけれど、同じくNHKで90年代半ばに埴谷雄高本人とのインタビューと俳優の蟹江敬三の朗読など構成された５回におよぶETV特集がyoutubeにアップされているのを発見。もう延々と続く埴谷の独白と蟹江の朗読はただ流しっぱなしにしてもよい。ところどころに挿入されるペルトのオルガンがよい。 では、お楽しみあれ。また自戒。 埴谷雄高　「死霊」1/2/3　講談社学芸文庫 読んだけれど斜め読みだったのでもう一度よもうかな。]]></description>
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