ワルシャワ、プラガにて

結局前回更新の次の日は、シロンスク地方にはむかわず、クラクフのNowa Hutaという1949年に街ごと労働者のために建造された郊外の住宅地とその近くのコンビナート潜入をこころみました。写真とかふくめて後日またアップする予定であります。とりあえず、先日のシレジア放浪の話をつづけませぬと。 カトヴィツェはここ。 Größere Kartenansicht さて。週末からの寒波で、十月のヨーロッパでは経験したことのないほどの寒さのクラクフを後にした小生は、13日火曜日お昼カトヴィツェ中央駅におりたつ。不思議なもので、なんどもベルリンからクラクフもといウクライナへと向かう旅程の列車の窓から、この駅を眺めているというのに、カトヴィツェKatowiceの中央駅へと降り立ったの実はこの日がはじめてである。今年春もクリミアへの途上、満員の夜行列車の車内から、眠れぬ目をこすりながら、この駅のプラットホームを眺めている。 Read More

ほぼ一ヶ月を過ごしたプラハから一路東スロヴァキアはコシィチェに向かった小生は、スロヴァキアから一路タトラ山脈を越えて、今年なぜかすでに3回目になるクラクフにいる。泊まっているホテルのレセプションののお姉ちゃんに、そんなにクラクフが好きなのと聞かれても、全く、そうなんだわ、ともいえない。にもかかわらず今年3度目。4月、7月そして今回。クラクフは中央ヨーロッパの交通の要所にある。ベルリンとウクライナ、もしくはスロヴァキアの間をそれぞれ移動するとやはりこの街を通ることになる。だからなのだろう。 昨日一日シロンスク地方をさすらってきた。クラクフを昼前にでて、クラクフへと戻って来たのは真夜中近く。帰り夕方も8時前に乗ろうとした列車はなぜか遅れに遅れ、予定の時刻を20分過ぎても現れる気配もなし。構内放送に耳を傾けても、チェコとスロヴァキアで一ヶ月を過ごして後に聞く、あいかわらず早口でイントネーションの高低がほとんどないポーランド語は半分もわからない。 Read More