旅行することがなによりの趣味であり、もはや生業のひとつとなっているのにもかかわらず、これは自分が一人で旅しはじめてから相変わらずなのだけれど、その旅という個人的体験、いわゆる旅行記なるものを綴ることが未だに面妖でしかたがない。いまだ完成されない過去の旅行の記憶を目の当たりにして、それが自分の肉なり血となっていること、ロゴスという別のフォーマットに、自分の記憶の中にある体験の一コマ一コマを移し替えるという作業の意義を、疑う余地はないのだけれど、それをどう移し替えるか、つまり、言語という形式で書き出す作業はいうまでもなく、それをどのような形で整理し直すか、ということが、この作業の最大の難関の一つなのだ。どこを旅していつどこでなにをみたか、どのような道のりをたどったか、というような記録を残すのは、書き始めはいいとしよう、しかし、段々と面倒になるし、時間が経つにつれて記憶は曖昧になるし、作業自体は正直なところ面倒だ。それにその作業自体はあまりにもありふれている。小生は面倒くさがりの物臭者なのである。 Read More
結局前回更新の次の日は、シロンスク地方にはむかわず、クラクフのNowa Hutaという1949年に街ごと労働者のために建造された郊外の住宅地とその近くのコンビナート潜入をこころみました。写真とかふくめて後日またアップする予定であります。とりあえず、先日のシレジア放浪の話をつづけませぬと。
カトヴィツェはここ。
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さて。週末からの寒波で、十月のヨーロッパでは経験したことのないほどの寒さのクラクフを後にした小生は、13日火曜日お昼カトヴィツェ中央駅におりたつ。不思議なもので、なんどもベルリンからクラクフもといウクライナへと向かう旅程の列車の窓から、この駅を眺めているというのに、カトヴィツェKatowiceの中央駅へと降り立ったの実はこの日がはじめてである。今年春もクリミアへの途上、満員の夜行列車の車内から、眠れぬ目をこすりながら、この駅のプラットホームを眺めている。 Read More
ほぼ一ヶ月を過ごしたプラハから一路東スロヴァキアはコシィチェに向かった小生は、スロヴァキアから一路タトラ山脈を越えて、今年なぜかすでに3回目になるクラクフにいる。泊まっているホテルのレセプションののお姉ちゃんに、そんなにクラクフが好きなのと聞かれても、全く、そうなんだわ、ともいえない。にもかかわらず今年3度目。4月、7月そして今回。クラクフは中央ヨーロッパの交通の要所にある。ベルリンとウクライナ、もしくはスロヴァキアの間をそれぞれ移動するとやはりこの街を通ることになる。だからなのだろう。
昨日一日シロンスク地方をさすらってきた。クラクフを昼前にでて、クラクフへと戻って来たのは真夜中近く。帰り夕方も8時前に乗ろうとした列車はなぜか遅れに遅れ、予定の時刻を20分過ぎても現れる気配もなし。構内放送に耳を傾けても、チェコとスロヴァキアで一ヶ月を過ごして後に聞く、あいかわらず早口でイントネーションの高低がほとんどないポーランド語は半分もわからない。 Read More
一人称の帝王ゴンブローヴィッチ様の日記朗読。
月曜日。おいどん。
火曜日。わし。
水曜日。わて。
木曜日。おどいどん。
金曜日。私。僕。俺。あたい。あちき。わし。おいどん。小生。拙者。手前。朕。臣。まろ。我が輩。わい。わて。ミー。うち。あっし。ぼくちゃん。ぼくちん。余。それがし。ばふちん。みども。わらわ。本官。・・・・・・
以上の中から日本語の一人称として不適切なものをえらべ。 Read More