ゴンブローヴィッチ「日記 1953-1969」

旅行することがなによりの趣味であり、もはや生業のひとつとなっているのにもかかわらず、これは自分が一人で旅しはじめてから相変わらずなのだけれど、その旅という個人的体験、いわゆる旅行記なるものを綴ることが未だに面妖でしかたがない。いまだ完成されない過去の旅行の記憶を目の当たりにして、それが自分の肉なり血となっていること、ロゴスという別のフォーマットに、自分の記憶の中にある体験の一コマ一コマを移し替えるという作業の意義を、疑う余地はないのだけれど、それをどう移し替えるか、つまり、言語という形式で書き出す作業はいうまでもなく、それをどのような形で整理し直すか、ということが、この作業の最大の難関の一つなのだ。どこを旅していつどこでなにをみたか、どのような道のりをたどったか、というような記録を残すのは、書き始めはいいとしよう、しかし、段々と面倒になるし、時間が経つにつれて記憶は曖昧になるし、作業自体は正直なところ面倒だ。それにその作業自体はあまりにもありふれている。小生は面倒くさがりの物臭者なのである。 Read More

火ここになき灰

今ぽっと頭の中にひらめいたのだが、何も書かないということを書くことは可能だろうか。 書くという行為のみが示しえることは、実際は何も新規なものは書いてないということ.。その前提によってのみによって世界の描写ははじめて可能になる。 少なくとも、結論から言えば、すでに書かれていることを、記憶の古層の下に埋もれた化石を拾い出す作業こそが、今書くことということを動機づけることの最大の理由の一つであると私は確信している。 Read More