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	<title>Lügenlernen &#187; 学生プロテスト</title>
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		<title>Audimaxをいかにして再びあふれかえらせるか。最終回。</title>
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		<pubDate>Wed, 24 Feb 2010 00:45:02 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ひさびさです。Twitterなどでフォローしていただいてる方には、すでに周知のことでしょうが、フンボルト大のAudimaxを占拠していた学生は1月31日付けでAudimaxを自主退去、代わりに大学当局によって提供されたかつての中央校舎にあって現在改装待ちの旧南食堂Mensa-Südに今回のプロテストの拠点をうつしています。そして、小生自身は1月中旬にベルリンに帰還後、占拠運動からは完全に身を引いております。今回アップする記事は今年の1月の頭頃に書いたもので、前回予告したものと整合性がないのですが、とりあえず小生が言いたくてうずうずしていた事と本音がかきつづられてあるので、今日アップします。 旧南メンザの様子。先週頭。 とはいえ、いまヨーロッパもとい世界中に着々とひろがる学生運動の動向に対して関心がなくなったわけではないので、今回の運動に深くコミットしたものとして、この行方は責任をもって見届けたいとおもっています。3月4日にはカリフォルニアを中心とした北米で大規模なデモ、そして、3月11日、ウィーンではボローニャプロセス10周年記念式典に対する大規模なデモが予告されています。ウィーンのデモは小生も乗り込んでその行方をしかとみとどけるつもりでいますが。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 結局「自由」とはなにか。 「もっと自分で考える余裕をよこせ。」昨年６月のデモにて。ウンター・デン・リンデン、フンボルト大学前。 大多数の占拠やプロテストに参加していない学生こそは、参加しないことを個人の自由といって、その参加しないことの自由なるものに固執するしようとする学生に昨年何度となく出会ったし、こういった学生は現状では大多数であろうと思われる。 結局、彼らが固執するその自由とはなにか。かいつまんでいえば、これはこのプロテストが関わる問題点やプロテストそのものに対して日和見することの自由である。それもある意味で正しい。学生個々人にはそれぞれの生活があるのだから。しかし、この場合の日和見には決定的に次の点に関する認識や思考プロセスが決定的に欠けている。 現在の教育システムのにおける最大の問題とは、いかに大学での勉学にて自ら型作り発展させていく、これこそがドイツ語での学問を意味するBildungという言葉が本当に意味することなのだが、そして自らの生とこれからの人生を形作っていくという思考をすることの自由と時間が徹底的に失われているとうこと、さらにいえば意図的に人為的に奪われているということ以外のなにものではない。 おそらく、今、占拠やプロテストに参加しない学生の大多数にはいま現在進行中への、現状への認識というものが決定的に欠けているか、あるいは気付いていても、それが昨今の教育「改悪」に起因するシステムのほころびであり、それが人為的に、あるいは意図的に作り出されたという認識に決定的に欠けている。仮にそのことに気付いていても、それに抵抗する抗議するという力はもはや残されていない。そこまで、徹底的にそう思考することの余裕はないし（あるいは気もない）、だから大多数のバチェロアーの学生はそこまでの認識にいたっていないというわけなのだ。つまり、彼らは自分たちの大学での学問をするという権利、もとい、それを軸にした自らの生活人生設計をするということに関する、最も基本的自らの権利に対する認識が欠如している。あるいは、大多数はそう考える余裕を「与えられていない」し、「奪われている」。 だからこそ、彼らが主張する「自由」なるものは、現在の大学では、まったくのまやかしでしかない。つまり、その「自由」を主張することで、逆に大学にいて学問をする、自らの生を自分の思考に基づいて型作るという「自由」をなし崩し的に「放棄」させられている、ということに無自覚なのだ。 しかし、この状況はあくまでも人為的な過失もとい悪意にもとづいていることを忘れてはいけない、特に今の政治が背後で企んでいるSozialabbau、つまり社会システム、そして、教育／学問の現場のなし崩しによって企まれているのは、社会や政治に対して批判的な知識人層の意図的な解体（アントニオ・ネグリは11月のフンボルト大学での占拠での応援演説でそう語っていた）であるといってもよいのだ。 特に大学という学問をする現場だけでなく、それ以外のどのような場所でも、どのような職に就いていようとも、実際は自由であるということの本当の意味は、自ら考え研鑽するという意味での「自己責任」に関わる話でこれほど困難なものはない。 そんなことは小生がいうまでもなく、人類が思考することを始めてから何度となく語られていることだ。 逆に今のシステムでは真剣に勉学にはげめばはげむほど、それに対する肉体的精神的負担が増すようにできていう現実がある。これは、繰り返すが、不作為にそうなったのではなく、人為的に作られたシステムとしての欠陥なのだ。 そのことについて保守的論調が目立つ高級紙の週間新聞のツァイトZeitまでが昨年の10月1日付けで次のような記事を掲載した。 大学はストレス「もうこれ以上は無理だ」 この記事で語られているのは、今のバチェロアのシステムがいかに学生に対して肉体的だけでなく精神的な負担をしいているか、それによって、重度のストレスだけでなく、鬱や不眠症に悩まされる学生があとをたたないということ、この記事でインタヴューをうけたフィリップPhilipという学生は、度重なる試験、そして、課題提出、なによりも、仮にバチェロアーを優秀な成績で卒業したとしても、マスターにいけるとはかぎらないという（このフィリップはこう語っている「ある友達は1.4という優秀な成績で学部を卒業したけれど、結局マスターに進めなかった・・・」と）、精神的な負担によって、精神科通い、そして精神安定剤服用を余儀なくされていること告白している。 おそらく、このフィリップのようなケースは懸命で真面目であればあるほど起こりえるのだろう。学生はなまけもの、というクリシェはあるけれど、実際は課題や自分のテーマにとりこめばとりこむほど時間は足らない程だ。ストレスは個々人の問題とはいってのけることはできない。それでも、ストレスは時として切り離すことはできない。 それでも、勉学にはげむということは、費やすべき時間が1日が24時間あったとしても足りないものである、ということをここで強調しておきたい。このツァイトの記事でボローニャプロセスについて研究している社会学者のUlf Banscherusはこう述べている。 &#8220;In der Vergangenheit war das Studium auch ein Schutzraum, in dem sich der Student entwickeln konnte&#8221;&#8230;. &#8220;Diese Freiheit existiert nicht mehr. Das Klischee des faulen Studenten hingegen ist noch immer präsent.&#8221; 「かつては大学もある種の守られた空間だった、その中で学生は自分を研鑽することができた。&#8230;&#8230;この自由はもう成しくずしにされている。それでもまだ怠け者の学生という偏見が依然として世の中にはある。」 大問題なのは、いうまでもなく、こういう真面目な学生が報われない現状なのだ。なぜ、1.4という成績で卒業した学生がマスターに進学することができないのか。これは個人の問題ではなく、システム、すなわちボローニャプロセス以降の大学「改悪」以外にありえない。だから、街頭デモで学生たちは、&#8221;Wir sind [...]]]></description>
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		<title>Audimaxをいかにして再びあふれかえらせるか。その4</title>
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		<pubDate>Sun, 17 Jan 2010 15:43:41 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[エリート化による負の側面。 「エリートなんていらない」 大学のエリート化。Exzellenzinitiativeとドイツ語でいうが、内容的には、日本の国立大学が独立法人化される際に導入された21世紀COEプログラムとだいたい同じようなものと考えていただければよい。そして、それによる、大学間そして国際的競争力の強化。ようするに成績優秀者と著名研究者もとい研究機関に対する重点的な投資だ。 問題点。大学はエリート教育の場のはずであったが、なにをもってさらに大学を「エリート化」するのか。そして、国際的な競争力とその根拠となる比較の基準とは。逆に、このエリート化がまねく問題。それはなにか。それが今日のテーマ。 教育機会の平等、という建前への觝触。もちろん、こういった議論はどこの国でも存在する。日本では当たり前のようで、全く実現していない現状の一つだ。 ところで、この占拠に参加しているのは、人文科学系、特に社会学、民俗学、文化人類学、哲学、そして文学系の学生が中心で、つまり、今の教育システムの中で一番「割りに」合わない目にあっている専攻から参加者が多いし、もともと「投資」を期待できない分野だ。つまり、とにかく勉学に時間だけでなく、自ら思考する余裕が求められる分野だ。５年から３年間への短縮にもっとも割をくっている専攻だといえるだろう。一方で、自然科学系の専攻からの参加者も多い。彼らにとっても、５年から3年の履修期間の短縮は大打撃。卒業したとしても、前回紹介した記事の中でのとある教官の発言にあるように、五分の三人前としかみられない現実では、自活に窮する。仮に2年間の上澄みをもとめて、マスターへと進もうとしても、良い優秀な成績で卒業したとしても、マスターに進めるとは全く限らないのだ（現在のところのバチェロアからマスターの希望者対との比較での進学率はたった４割程度）。 このマスター進学に対しては、希望者すべてに対して門戸が開かれていないという点も、今回のプロテストの焦点でもある。要するに、それまで５年制のシステムであれば、バチェロア／マスター修了までにすると、５年間の期間の勉学を保障されていたというのに。 ところで、法学部や経済学部などからはほとんど参加者はない。多分これには前者と後者の間の大学もとい教育もしくは学問の意義や現状に対する認識の差が影響しているように思える。そして、もっともプログラム化されている専攻。要するに手っ取り早く卒業することが求められる上、優秀である分野。バチェロアを三年で終われるならそれでよい、と思っている学生はかなり多いはずだ。それをなしとげられるかは別にして。それでも、彼らがそれで是とするならば、それで是とすればいい。それでも、それ以外の専攻にあてはまるかどうか別問題にして。 少し脱線して小生の見解を述べるならば、いっそのこと、取得学位を専攻期間、本人の生活状況に基づいて自由選択にできれば、学生たちにとっては一番理想的だった。もちろん、ドイツ人の細かさや融通の聞かなさというステレオタイプ的な気質を考慮しても、これは採用されたかどうか疑わしいし、仮に採用されたとしても、混乱もおこってはいたであろう。それにしても、今回のようなプロテストを引き起こす事はなかった。 その学位取得の自由選択制が実現していた時期が、実は短い期間ではあったが、あったことはあった。つまり、マギスター／ディプロムからバチェロアー／マギスターへの移行期間だ。 ところが、その移行期間にマギスターをはじめた学生は大幅なあおりをうけている。例えば、中途での専攻の変更（これはドイツの大学では特にめずらしいことではない）がほぼ不可能、もとい極めて難しくなった、そして、マギスターの学号を取得までに一定の制限がもうけられたこと。つまり、かつてならば、無制限に学位取得までの時間があたえれらていたのであるが、この場合、フンボルト大学の場合、最大１３セメスターを限度とされた。これを是とするべき、否とすべきか。 小生はその１３セメスターという数字にどのような根拠があるかどうか疑わしくおもう。普通の履修期間は９ゼメスターであるが、履修期間に卒業する学生は、小生の知る限りほぼ皆無、それどころか１３セメスターでも専攻によっては難しい。この場合、制限はもうけるべきではもちろんなかった。マギスターからバチェロア／マスターへの移行期にマギスターをはじめた学生にとってこんな不公平なことはない。 のぞまれざる学問？学問はのぞまれない？ ところで、教育の分野で一番最初に予算が削られる分野はどこか。いうまでもない。人文科学系である。もともと一番予算が少ない上に、それに政治家や経済界のみならず、人文科学の意義を理解できない人は世界中どこにでもいる。 なによりも、人文科学を専攻する彼らはなにかにつけて不満をいう。社会に大しても教育というシステムに大しても。もちろん、その批判精神抜きには、その学問としての存在意義は骨抜きも同然なのだが、ところが政治というコントロールをつかさどる機関にとっては、いうまでもなく、なにかにつけて常に批判や不満を持つ彼らは目の上のタンコブなのだ。 もちろん、人文科学の分野にお金がまわってこない話は今に始まったはなしではない。だからこそ、自ら現実に対する批判的精神を養うことが、この学問の土台なのはいうまでもない。ただ、現状に至るドイツでの教育分野への財政削減の要求と学士／修士への制度の変化と、それに伴う大学での学ぶ現場や教育現場の混乱と現状は、教育という分野や学ぶということ知るということ自体をなし崩しにしかねない危機であることをいっておかねばならない。 なによりも、ドイツはここ10年、それどころか、東西の統一以降経済的にはずっと下り坂なのだ。そして、昨年の９月の経済危機はそれに拍車をかけつつある。メディアは第三世界や東欧などの不況についてばかり報じたりするが、ドイツの状況は依然として厳しいものがある。最近、とあるドイツのメディアが、ドイツでも貧困層が全人口の7分の１に達したということを報じていたが、おそらく旧東ドイツやベルリンではそれを越えているであろうと思われる。ベルリンでもそうしたことから、正直なところポジティヴな出来事はここ1年ほど皆無であるといっていい。人の表情も正直暗い。ベルリンでの貧富の差の拡大はここ数年目をおおうばかりだ。 もちろん、昨年来の世界中を覆い尽くしている不況の責任は、銀行屋や経済屋だけでなく、その放埒を見て見ぬ振りをした、政治の責任が大なのはあきらかだし、その責任をたなあげしまくる政治屋もおなじ穴の狢のなのだ。それでも、政治屋がそれを自分の責任なんていうことは皆無。それでも、日本では自民党が先の衆院選挙でその責任を背負わされた形になったのは、正当ではあったけれど、それが民主党になったところで、彼らとて、同じ穴の狢、どこまで変わるかなんて期待もできない。実際、歪みだらけの日本の教育システムをこの政権交代でかえようなんて話なんてまるでない。 なによりも、人文科学系の博士号取得者の大半が無職、そして水準以下の生活レベルで暮らすことを余儀無くされるような国など常規を逸している。そして、それがここ20年30年の教育無策のせいではなく、ここ10年の文部科学省の大学院重点化のポリシーが進みだしてからの話だから、ますます救いようがない。要するに、エリート化をさせようとして、エリート化させようとした優秀な人材を、社会全体で生かしきれていないだけでなく、社会から放逐するような形になっているのだから。これは政治の失敗どころではない。社会全体の損失なのだ。 ドイツの教育システムも、日本でさえついにたもとを分かとうとしている、ネオリベラリズムの要求に基づいた世界的傾向にとみに逆行するUnion／FDP主導の経済放任主義にもとづいて、そうした道をたどろうとしている。だから、日本の大学や大学院の現状をみていると、ドイツの教育や研究の現場までもが同じ道をたどってしまうのではないかという思いにとらわれてしまうのである。 それどころか、これは日本の例をみていると、これは意図的なのではないかと、思ってしまうぐらいなのだ。自らの経済上の失政の責任を棚上げするだけでなく、自分の責任とはいえ財布の紐をきつくしめないといけないこの時勢に、自分たちに批判的な連中にやれる金もないしやりたくもない。むしろ、このご時世は金をやらないで、つべこべと文句をいうやつらを干上がらせる絶好の機会なのだ。そして、自分らに都合のいいものだけを囲って、自分たちにとっては安泰のシステムを固める絶好のチャンスなのである。自分たちが安泰であるシステムを維持するには、一番簡単なのはそのシステムに都合の悪いものの排除以外にあり得ない。 昨年11月にフンボルト大学のAudimaxを訪れて、即興の支援演説を行ったアントニオ・ネグリも現在の財政削減の名の教育費削減、そして、ボローニャプロセスという名の下のEU主導の教育の現場における中央集権主義、しかし、現状を見るにある種のパノプティクムの構築を、強いては社会全体の意図的な教育水準の低下、もとい知識人層の締め上げ、その知識人層を体制側によるシステマチックな排除、すなわち社会全体での知識人の質および存在そのものへの挑戦ととらえていた。それに対して、ヨーロッパで学生たちによって新たに始まった2009年のプロテストを反抗への絶好の機会であり新しいムーヴメントととらえていたのが印象的だった。 再度11月中旬ベルリン・フンボルト大学側でのネグリによる応援演説の模様。 ANTONIO NEGRI @ HEGEL PLATZ, BERLIN, 20.11.2009 from Lügenlernen on Vimeo. ではその知識人の締め上げとその質の貶めをいかに遂行するか。もちろん、それをあからまにやってしまうと都合が悪い。さらなる敵をつくるだけでは自分たちが危うい。その為に作り出された巧妙な言い訳と仕組み。つまり、「エリート化」。つまり、一握りの自分たちの意に即したエリートを、こっちの意図にそうように頑張るならお金をあげるよ、という懐柔／取り込みだ。 こうやって、批判的な精神を金で懐柔する。もともと、特に、人文科学系の専攻者はもとい卒業したとしてもつける仕事も限られる。仮に卒業して学位のひとつやふたつをとって、社会的な名声を得たとしても、それで世の中渡り歩けるほど甘くない。金をえさにして、競争をあおるというわけである。もちろん、もらえる金はもらうに越したことはない。そんなものにだまされなければいいのだ。しかし。そういう精神の持ち主は、エリートクラブや政治の側にとっては、やっぱり招かれざる客なのである。 ドイツでの大学のエリート化はここ近年とみに叫ばれるようになったが、これはボローニャプロセスを経たドイツの大学の制度の変化と歩を同じくしている。そして、2003年ごろの日本の国立大学の独立行政法人化もほぼ同じ時期だ。競争もいいだろう。競争のないところに刺激は生まれない。それは社会主義と共産主義の経済的な失墜とそのシステムとしての失敗がそれを証明している。 もちろん、この世界には、教育をうけられない人々がいることも頭の中に入れていく必要がある。ただ、それを逆手に、大学にただでいけるだけで満足しろという論調には全くおつきあいできないことはお断りしておく。今のドイツの教育現場で進行中の出来事は、それ自体を骨抜きにしようとするものなのだから。それに、なによりも、学ぶことや教育をうけることは不可侵で正当な人権とするするならば、ドイツという国では、社会的な出身層の違いによって、大学進学率が極端にことなる、そういった現状では、教育機会の均等は果たされているとは口が裂けても言えないのだ。 教育機会の平等に関しては、下の図を御覧いただきたい。 ドイツという国はなかなか外国人からみえにくいかもしれないが、依然としてある種の両親の出身職業などの違いをもとにする厳然とした階級社会が存在する。それに、東西統一後のドイツでは東西出身地域プラスそれによる経済格差という要素もさらに加わり、この傾向はさらに強まった。この図が示す通り、大学を卒業した父親を持つ子供(左）とそうでない子供（右）との大学進学率に最大６０％までの違いが存在する。このことは教育機会の不平等のただ一側面でしかない。ようするに、大学を卒業するという時点に到達する以前どころか、入学する時点で、金、あるいは金持ちの親なしには成り立たない構図が、ここでうかびあがる。 大学とはもともとそういった知識人、すなわち社会的なエリートを養成する機関にもかかわらず（現実はまた違うかもしれないが）。もちろん、大学の大衆化というのは、いうまでもなく過去半世紀世界的な傾向であることはいうまでもないが、ヨーロッパでは依然として、ドイツでもだが、大学とは、どこか浮世離れしている特別な場所、良い意味で、そういったエリート養成機関である、という社会全体の認識は依然として色濃くある。 ここにさらなるエリート化なるものを進めることがどのようなことを意味するか。 それはさらなる教育格差の拡大と教育機会の不平等の拡大以外にありえない。そして、教育は国家の根本とはどこの政府の首脳もいうが、現在のドイツで実際に進められている政策を見る限りではこれほどの大嘘はない。現在の政策はその建前さえもなし崩しにするもの以外のなにものでもない。ドイツはこの傾向が顕著で、歳出に占める教育予算が４％以下という。これはヨーロッパの中どころかOECD加盟国の中でも最低ともいわれている（ということは日本よりも下ということで、小生にとってもそれはある意味センセーショナル）。 「誰かにあやつられるのでなく、自分で決める」「ターボ・アビトゥアとバチェロアとエスプレッソ二つ、持ち帰りで」 フンボルト大学でのAudimax占拠がはじまったころに、ドイツの学生は学費もただ同然なのになぜ満足できないのか、と発言した留学生がいたが、教育機会の不平等という理由のみならず、実際は、ドイツでの大学入学へいたるまでのハードルは、日本同様、決して低くない。特に、大学入学以前のAbitur（日本でいう高等学校修了相当）取得をめぐるシステムは、昨今の教育予算カットを目的とした、Abiturにいたるまでの期間が、９年から８年に短縮された昨今、大混乱の様相を呈しだしている。Turbo-Abitur。高校生たちはこの短縮をこう批判する。 「ターボ・アビトゥアとバチェロアとエスプレッソ二つ、持ち帰りで」 ドイツの高校生もその　Turno-Abiturというプレッシャーの中をいきている。日本のような大学受験戦争はこの国にはないかもしれないが、Abitur（とは実質卒業試験のこと）の結果如何で入学できる大学や専攻がほぼきまるのであるから、彼らもそれは必死だ。それにAbiturに至らず、途中で挫折してしまう高校生もこの国では非常に多い。そして、大学にやっとのことでたどりついても、このバチェロアーのシステムでは、息つく暇もないわけだ。 「誰かこのプラカートもってくれへん？俺働かなあかんし、勉強もせなあかんねん。」 そして、前回言及した年々ふくれあがる学生の数についても述べておかねばならない。このことに気がついているメディアはあまりいないのであるが、これは今の教育現場の混乱からすると致命的になる可能性が大なのである。 それでは今日はこれまで。また自戒。 その他の６月のデモの写真はここから。]]></description>
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		<title>Audimaxをいかにして再びあふれかえらせるか。その3</title>
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		<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 01:00:46 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ボローニャプロセスと教育「改悪」 ウィーンでのボローニャプロセス反対デモの模様。 ドイツの大学制度の変化にとっては、９９年にヨーロッパの教育担当大臣たちによって合意されたヨーロッパ全体でのひとつの教育システムの構築をめざしたボローニャプロセスというものが決定打となった。たとえば、EU域内での各国の大学との間での単位互換、そうすることによって、学生や研究者の交換や行き来などを流動的にすすめようとしたこと、つまり国単位での教育システムではなかなかスムーズにいかなかったものを、ヨーロッパ全体でおこなおうとしようとしたボローニャプロセスの理念は表面的には、合理的かもしれない。 結局はこの反対論とEU加盟国の教育政策の合意にもとずくボローニャプロセスでの決定に押し込まれる形で、この５年程でドイツの長年の教育システムの根本であった５年制のMagister ／Diplom制度は廃止され、アメリカ型の学士3年／修士2年のシステムに切り替わることが決定されたことは周知の通りである。 ただ、それが今回のストでの争点の一つなのだが、ドイツではそれがボローニャプロセスを、財政削減のための口実に使おうとしたこと、その財政削減を動機としたこの教育システムの変化は、結局は、予想された通り、学生や教員のみに負担をかける形になり、大学や学生の側からは全く機能していないという声が、ここ1年半ほどで一気に顕在化した。 ボローニャプロセスに対する不満はこうして2009年についに合意から10年の時を経て、ドイツ、オーストリア、スイスを中心に大爆発することになったが、この協約のヨーロッパ域内の学生／研究者の流動化という理想はさておき、結果としてこの10年間で見えて来たことは、杓子定規もあられもない各専攻の内容が全く考慮されない制度の画一化、つまり、各専攻の間のカリキュラムの差異や期間、そして、ドイツといっても、各州ごと各大学ごとのそれぞれの長年にわたり発展してきた研究分野や現場の個性や伝統が存在するわけなのだが、そして、ヨーロッパ各国の各大学には過去数百年にのぼる大学教育の伝統がそれぞれにあり、この10年でボローニャプロセスがもたらした結果は、なによりも、それぞれの各国の大学の教育の特性をないがしろにしかねない均質化、という批判であった。 特に、ヨーロッパの中でも特異な５年制教育システムと、カリキュラム設定が学生に自由にゆだねられていたドイツの大学およびオーストリアの大学の教育現場はこうして大混乱に陥ることになった。なによりも、それまでの５年生のマギスター／ディプロムのシステムから、やはり画一的にバチェロアー／マスターに変わったことで、全体としての学生や教員に対する負担がふえたこと。出席コントロールという、かつてならばドイツの大学では全く考えられなかったことも行われるようになったが、ベルリン・フンボルト大学をはじめ、ドイツ、オーストリアの各大学でこの2009年のプロテストがはじまった昨年末の時点で、学生のプロテストを受けて、この出席コントロール撤廃が決定された大学も数多くある。この点は昨年のプロテストの最初の成果であるといってもよいだろう。 また、モジュールという、各専攻事にきめられたテーマごとの必須科目を学期ごとに専攻し、モジュール修了試験というものを終えないと、次の年度にすすめないという制度も投入され、各自の興味にもとづいて自由に、そして生活との兼ね合いの中で学ぶ、ということになれていたドイツの学生には、これは学ぶという自由の大幅な制限としかうつらなかった。この中で試験や発表の数は大幅にふえ、学生はおろか、教員側にもおおきな負担がかかっていることが指摘されている。 今回のプロテストでは、このバチェロア／マスター制での、モジュールの履修内容の柔軟化、各専攻内の履修内容選択を、旧制度時、つまりマギスター／ディプロム時のように、各自の関心に基づいて、自由に組み合わせられるよう、そして、主専攻以外の単位認定の柔軟化、そして、学生自身によるゼミ／プロジェクトに対しての単位認定など、制度の大幅な改善を学生は要求している。このことを、大学の学校化、つまりVerschulungといって、つまり、自発的に学ぶのではなく、徹底したカリキュラム化によって、あらかじめ決められた事のみを学ぶようにつめこまされる、として学生側のみならず、教える側からも非難の声があがっている。というのも、教員側も、自らの研究テーマとの兼ね合いで授業やゼミ、もといプロジェクトを組むことが難しくなったからだ。つまり、この制度は、学ぶ側だけでなく、研究する側そして教える側の自由の制限、もとい、その両者間のコミュニケーションの足かせにさえなっている、という非難が根底にはある。 また大学のシステムの変化は、学生自体の負担は大学の中だけでなく、学生それぞれの生活に大きな影をおとしている。ドイツでは不況の影響もあって若年の就労率がさがっていることもあって、学生数は増える一方なのに、御存知の通り連邦政府の教育予算は削減されつづけている。そして、ドイツ人の学生の大半は親の支援をうけていることはまれなので、Bundesausbildungsförderungsgesetz、通称Bafög、つまり連邦政府による学生／生徒への財政的公的支援、つまり公的な奨学金など、もといその他もろもろの奨学金を受けながら自分で養うことも考えなくてはいけない。 問題点は、このBafögをすべての学生が受けられることはないということだ。それに、５年での勉強内容を3年に短縮されたとあっては、大学以外の就労や余暇に対しても（これは人間ならば当然の権利だ）時間をさくこともままらなくなる。仮に、この制度だと、3年というRegelstudienzeitつまり履修期間内に卒業ができないと、Bafögはカットされてしまうのである。そんな事をされては、大学にいくこともままならず、自分の生活そのものの維持に奔走するというケースさえ考えられるのである。 これによるもう一つの問題。このような、学生にとって時間的にも金銭的にも負担のかかる状況では、ヨーロッパ内の大学間の交換制度をつかって、外国の大学にいくこともままならなくなるということ。特に人文科学系でも外国語を専門的に学ぶ学生にとってはこの履修帰還の短縮は致命的どころではない。例えば、小生の所属するフンボルト大学のスラヴ学研究科では、バチェロアーの学生にAuslandsemester、つまり、それぞれの専攻言語の大学への留学が、カリキュラムの中で必修となっているが、財政的時間的にこれを行えない学生自体が大勢いることが分かっている。 それはひいては、卒業したとしても、考えることと学ぶ時間と自由をあたえられていたマギスター／ディプロムの時代の同じ専攻の学生とくらべて、学生のレベルの低下はさけられない。ボローニャプロセスがめざしたヨーロッパ域内での学生の流動化というものは、もはや学生や教える側からはほとんど機能してないことが指摘されている。ある調べでは外国へ留学に行く学生がボローニャプロセス導入以降、減ったことが明らかになった。それだけでなく、大学やメディアの側だけでなく、特に工業や製造業の側からは、とくに自然科学系分野のバチェロア修了生の、かつてのディプロム修了生に比較しての質の低さがとみに指摘されている。そんなこともあり、学生側だけでなく、教える側や産業界からは工業／自然科学系の分野での５年制のディプロム復活を求める声が高まって来た。 記事例； Tageszeitung: Profs wollen Diplom zurück (教授たちはディプロム制復活を望んでいる） Spiegel-Online: Wir wollen unseren alten Dipl.-Ing. wieder haben (われわれとしてはかつてあった理系ディプロム制を再び望む） Deutschlandfunk: &#8220;Ich denke, dass das der Markt entscheiden wird&#8221; （「市場が（小生注:かつてのディプロム／マギスター制がよいかどうか）判断をくだすことになるだろうと思う」）） 最後にあげたDeutschlandfunkの記事ではザクセン州のチッタウ・ゲルリッツ工科大、そしてドレスデン工科大学では、他の州ではとうの昔に廃止されている理系ディプロム課程を廃止せず、いまでに維持しているということを報じている。この記事ではとある教官のコメントがのせられている。 &#8220;&#8230;eine kürzere Ausbildung, wie es also jetzt angedacht ist, ein Bachelor-Studium solle drei Jahre [...]]]></description>
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		<title>Audimaxをいかにして再びあふれかえらせるか。その2</title>
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		<pubDate>Mon, 11 Jan 2010 03:00:30 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ドイツの教育システム。 昨年６月のデモにて。ベルリン・フンボルト大学前にて。その他写真はここから。 昨日の続きについて入る前に、今日は先日から論議の俎上に登っているドイツの教育システムとその変化、そして、その原因となったボローニャプロセスについて、小生なりの見解をまぜながらおさらいしておきたい。 ドイツ語で学問や勉学（特に大学での）のことをBildungというが、これは「自らを形づくる」という風にも解釈できる通り、ドイツの大学システムはつい先だっての教育「改悪」に至るまでは、専攻の選択や変更、専攻内の科目の履修などもふくめて、卒業にいたるまでの道筋を100％自分自身でつけること、自分で勉強したい内容、科目などを選択することがもっぱら重視されてきた。人文系ではMagister、そして理系ではDiplomと、これは長年ドイツが誇る教育水準の高さの象徴ともいえた学位であった。 そして、特筆すべきは、哲学と数学という日本の大学ではまずありえない専攻の組み合わせ（哲学史をひもとけばいうまでもなくこの組み合わせは実に理にかなっているのだが）も可能だし、また、専攻外のことも必要に応じて学ぶこともできた上、そこでの単位も柔軟にみとめられていた。日本の大学にあるような、学期前学期後の履修科目の登録や単位の集中管理、試験期間中の無駄なストレスなど、そして単位をめぐっての学生課とのあえない戦いなどほぼない。仮に学期内に単位をとりもらしたり、課題を出し損なったとしても、小生の経験からすれば、提出すればほぼ100％単位はもらえる。なにがしら、不満あるとすれば、試験の申請から実施までの果てしない待ち時間ぐらいであったが。これは時には、中間試験や卒業試験の場合は半年から1年ほどかかる場合がある。 そして、ベルリンに限って言うなれば、大学では加えて学費は払う必要はない。学費が導入された旧西ドイツを始めとする各州でもセメスター単位500ユーロほどで、それに加えて、せいぜいドイツでの生協にあたるStudentenwerkの共済費、そして、大学のある街の公共交通機関の学期定期など、ベルリンではしめてせいぜい一学期250€ほどを払えばすむから、日本にくらべれば、負担はそれほどにも見えない。それに学生は学割、という日本ではあってないような恩恵を様々な場所で享受することができる。それもあって、Langzeitstudent（長期間登録学生）という言葉に代表される通り、10年つまり20ゼメスターをすぎても卒業しないで、ただ登録しているだけの学生なんてのは、旧システムのころにはザラにいたのである。 この制度には長年賛否両論があって議論がつくされてきた。 この大学制度への賛成論。まず第一に自由学ぶ意欲こそが、ドイツの教育水準の高さを維持しているのであると。そして学問の自由を維持しているのであると。要するに理想論も入っている。それでも、ドイツの教育水準は他の世界中のどこの国々と比べてまだまだ傑出していることに異論を唱える人はいまい。人文科学だけでなく自然科学の分野、つまり、経済にしても工業の分野にしても、この教育水準の高さなしには国際的な地位の高さはありえない、つまり、人こそが資本であるという主張。 そして、なによりも、教育や学ぶことは基本的人権の一つなのだから、それを維持するのは国家の義務であるという主張が依然としてある。いわゆるヨーロッパ近代のヒューマニズムや人権思想に根差した主張。そして、そのことによる学ぶ／教える現場への経済原理の排除。大学の独立性の維持。 その点では、多分、今の日本やアメリカの教育や大学の現場ほど、今ドイツの教育システムがかろうじてまだ維持している学問の経済的原理からの不干渉をなし崩しにされている場所はない。教育もとい学ぶという基本的人権がないがしろいにされている。それを基本的人権の一つとうたっておきながら。アメリカでも、ほぼ時を同じくして、現在カリフォルニアを中心に学費値上げに対する学生の反発からヨーロッパ同様各地の大学でプロテストもとい占拠運動がおきている。 北アメリカ大陸での占拠デモマップ。 View American Student Activism 2009-10 in a larger map もちろん反対論もある。 科目によっては、卒業率が５％にも満たない学部があるということ（哲学、神学や美学など特に人文科学の分野）、そしてLangzeitstudentたちや卒業できない学生に費やされる教育費。つまり、この大学のシステムは金がかかってしかたがないということ。金なしには、教育も学問もへったくれもないという現実。これもまた事実なり。そのことに異論はない。 また、この５年生の教育システムはヨーロッパや国際的にもみてもかなり独自で、国外の大学制度との互換性がないということ。交換留学中に取得した単位が認めれないなど、国際的な学生の流動性の面での問題もあった。 その解決策として期待されていたのは、99年に当時のEU加盟国の教育担当の大臣によってイタリアはボローニャで合意された条約、ヨーロッパ内の教育の新しい枠組みを想像するという理想をかかげた、通称ボローニャプロセスであった。 次回はこのボローニャプロセスとそれがもたらした問題点について議論を続けます。 ではまた自戒。]]></description>
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		<title>Audimaxをいかにして再びあふれかえらせるか。その1</title>
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		<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 03:00:28 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[占拠開始直後のHU Audimax, 12.11.2009 今小生たちが占拠しているこのフンボルト大学のAudimaxは数あるフンボルト大学の大講義室の中でも最大の規模を誇るものの一つ。もともと、中心部にあるという大学の立地条件もあり、この大学ではゼミ室や講義室の不足などは慢性的なものになっている。このAudimaxは特に法学部や経済学部の講義などに使われているのだが、その学部の学生からは大きな不満もでている。というのは、必修科目の講義ではこの空間はかならず廊下に座る学生や立ち見がでるほどあふれかえるからだ。 実際、この占拠されているAudimaxは規模の面からして換えがきかないということもあって、それに変わる場所はフンボルト大学の本校舎周辺の中央キャンパスにはない。もちろん、それによって、今回のデモやプロテストの目的を公にすることが、この占拠であり一連のストライキの目的なのであるが、プロテストそのものに関心をもたないだけでなく、政治的に中立であることを標榜したり（そこにAudimaxでの占拠にかかわらない人たちの偏見があるのだが、政治的信条は参加者によってまちまちであることはいうまでもない、もちろん、いわゆる世間的にいわれる「左翼的な」学生が多数いることは間違いないとしても）、また占拠自体に賛成できないという理由で、プロテストそれ自体を拒否したりする学生も多数いる。小生の印象では、パンク的スタイルをとる学生が多いこと、それに体してアレルギー的拒否反応を示す学生も多いような気がする。もっともそれは表面的なものなのにもかかわらずだが。 個人的な政治的信条もとい教育システムにたいする考え方も様々であるが、なによりも小生がよく耳にするプロテストに参加しない理由の大多数は「時間がない」である。 現行システムの中では、真面目な学生には本当に「時間はない」。だから、この「時間がない」は本心にしろ、タダの言い訳にしろ、当たり前だが学生個人にはそれぞれの生活があるわけで、そのことにいうべきことは特にない。しかし、この本心からいわれた「時間がない」ことの原因にメスをいれることが、このプロテストの最大の目的であることはいうまでもないし、このプロテストの参加者が、「ない」はずの時間を削ってまで大学の一部を占拠し、そこからメッセージを外部に発信しようとすることの理由の一つなのだ。 「時間がない」がないのには様々な理由があるだろう。大学での勉強に平行して働かねばならない、家族や子供の面倒をみなくてはならない（いうまでもなくシングルマザーの学生も多い）などなど。しかし、このことは、国が勉学にいそしむ学生を援助することで解決できる部分もある。いわば、福祉や政治の機能不全によるあおり。これは今にはじまった話ではない。 しかし、「時間がない」ということの言い訳の最大の理由。占拠やデモといった、なぜ学生の一部が占拠という手段にうってでるという政治的な行動そのものに興味がないこと。そして、デモや政治活動そのものが、格好良くない、クールでない、などイメージの問題。これも今にはじまった話ではない。 今のヨーロッパ全体でのネオリベラリズム的傾向によるSozialabbau（社会保障制度のなし崩し）、特にドイツでは、昨年９月の総選挙後、与党のUnion／FDPのもとでその傾向が大加速しつつある。今、FDP主導ですすめられている、もちろん、国民や外国人の大多数には受ける恩恵などゼロに等しい減税措置などは、このドイツの社会福祉国家としての建前をなし崩しかねない、そのことに気がついてないという現実疎外もしくは現実逃避。それも今に始まった話ではない。 占拠がはじまった日の当日あれほどの高揚感につつまれたAudimaxも2週間もたたないうちに、人気がなくなっていくことはとどの頭から避けられない話であったわけだ。４、５週目の週末には10人にもみたない学生がAudimaxで寝泊まりをしていたぐらい。クリスマスパーティーにいたのは25人。マスコミや大学当局にしてみれば、この占拠も要するに始めから「時間の問題」であったわけなのだ。それでも、その予想に反して、クリスマス／大晦日越えをやってのけたこと自体は評価に値するだろう。しかし、それで今の大学や教育の現場をとりまく状況すべてが変わるわけではない。 だからこそ、マスコミが報じるようなドイツでの学生による「プロテスト文化」なるものの復活は、実際、毎日Audimaxにいる人間からすると空しく響く。それでも、小生のような、無党派であるだけでなく、無頼派で一匹狼を自称していた人間であり外国人が、こうした占拠運動もとい世間的には学生運動とよばれるものに参加すること自体が、ある種の変化なのかもしれない。けれど、小生の中では特段自分の中で変化があったとは思わないし、最初11月11日の占拠の最初の日の総会も親しい友人がいくから一緒についていった、という類のものでしかなかった。 今年最初の課題はなによりも、この無党派、そうじて日本ではもはやそれ自体が死語も死語でもある「ノンポリ」層をこの占拠運動へとどう取り込んでいくか。現在千載一隅のチャンスであるということをいかに共通の理解にしていくか。まずはこの課題からとりくんでいくことで、ともあれAudimaxの中は一致している。さて。 自戒さらに続きます。では明日。]]></description>
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		<title>Audimaxismus！(下)／改</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Jan 2010 15:26:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<description><![CDATA[前回の続き。 ウィーン大学、Audimaxにて。 興味深いのはこのドイツでの&#8221;Bildungsstreik!&#8221;「教育デモ！」および&#8221;#unibrennt&#8221;「#大学爆発!」のプロテストの形だ。それをあるオーストリアの学生が下の図のようにまとめている。 左は要するに68年世代のクラシックなトップダウン式の学生運動の形。右側はこのBildungsstreik!および#unibrenntが標榜するプロテストの形。つまり、実に Google、Wikipedia、Twitter、Facebook、Blogなど、かつてweb2.0とひとくくちに呼ばれていた（曰く日本では死語らしいので）新しい双方向型のネットワークや情報の共有の形と今回のプロテストは類似しているというものだ。トップダウン式ではなく、脱中心的、それぞれのモナドが緩やかにつながっていく、もしくは、あたかも折り畳まれたかのような襞のごとくゆるやかに波打ちながらつらなってゆく。 これは11月にフンボルト大学を訪れたアントニオ・ネグリも指摘した通り新しいプロテストの形だともいえるだろう。もしくは、「内在平面」（ドゥルーズ）、「群島」（カッチャーリ）、そしてそのネグリが呈示する「マルチチュード」あるいは「共」（コモン）といった概念など、８０年代以降のポストモダンを代表する哲学／思想のキーワードが、このプロテストでは見事に結実しているように映る。 ドゥルーズは彼の主著の一つ「襞」でこのように述べている。 襞の上の襞、これはふたつの知覚の様態、微視的と巨視的というふたつのプロセスの規定を示す言葉である。だからこそ、広げられた襞は決して襞の反対ではなく、一方から他方に向かう運動なのだ。襞を広げることは、たえず地をゆさぶる無限に小さい襞を展開し、解消し、形式が出現する側に大きな襞を刻み付けること、要するに覚醒時の実践である。つまり私は「襞の表面」に世界を投影する・・・。 ジル・ドゥルーズ「襞」p.160-161 河出書房新社 また、ネグリはこうもいう。 「共」（コモン）は、なんらかの結果としてではなく、活動の形態として姿を現わすのであり、管理の濃密化としてではなく、あくまでも動的編成、開かれた持続性という形態で現出するのである。・・・ われわれが提起する「共」（コモン）の概念が、公的なものと私的なものとのいっさいの起源的分離の拒否、そしていったんぶりしてからのあらゆる再構築の拒否から生まれたものであることは明白である。マルチチュードとう概念は、特異性の総体、無限の特異的活動を結び合わせる協働的な織物（組織）の総体を指す。このような場においてこそ、「共」（コモン）の概念を開かれたやり方で再構築し、入念にしあげなければならないのである。 アントニオ・ネグリ「さらば、近代民主主義」p.95, p.99 作品社 小生にとって象徴的だったのは、とある左翼親父がAudimaxを訪れた時にあった小生ら学生とのやり取りだった。その親父はストライキ委員会 Streikkomitteはどこだ、と聞いたのだが、側にいた同僚は即座に、「いや、このプロテストはdezentral（脱中心性）を標榜している。だから委員会なんてものはない。それぞれのAG(Arbeitsgruppe、つまり作業部会）がそれぞれに毎日作業や議論をおこなって、毎日作業部会の全体会Plenumでそれぞれの作業報告をおこなっているんだ。このPlenumが僕らそのものなんだ」と答えた。 Plenumという言葉は、これまで当ブログで作戦会議というように解釈していたけれど、もともとは「物質が充満した空間; 高圧（状態）; 充満; 総会.」などを意味する。そう考えると、PlenumとはAGという様々なモナドによって満たされ充填された集合体であり、そして、その現場であるAudimaxとはこの運動自体の最小の構成単位であるモナドであると。そこから様々な形で、外部へとその中身が流れ出してゆく、そして、他のモナドから、他のAudimaxから別のAudimaxへと・・・。それがこのAudimaxismusのイデアルな部分だろう。 ドイツ、オーストリア、スイスの学生グループはオーストリアより、ドイツ、スイスへと占拠運動は飛び火するや、さらにコンタクトを密にしようと心がけている。すでに、この３国の占拠グループのミーティングはすでに11月中旬以来すでに二度行われている。一回目はミュンヘン、二回目は先々週末ポツダムで行われた。次回三回目はウェストファーレンのビーレフェルドで一月末おこなわれることになっている。ポツダムでの会合には小生も参加したが、200人ほどが遠くはインスブルックやバーゼルからポツダムへ駆けつけた。その中でそれぞれの占拠グループのAG作業部会による共同作業が三日間寝る間をおしんで行われた。小生はこのオーストリア／ドイツのプレス担当者の会合、もといインフラ整備担当の共同作業に参加したが、そこにはLinuxやWeb2.0のインフラ開発者や筋金入のハッカーなど、昨今のインターネットでのデータ情報統制や個人情報保護政策に対して極めて批判的な連中が集った。各大学を横断するイヴェント＆アクションカレンダーや情報共有のためのWiki（ドイツ語）、およびプラットホーム、そしてそれぞれの大学の間の連絡システムを年明け早々からさらに発展させることになった。 だが、実際はどこの占拠グループもクリスマスを前にして、このプロテストそれ自体が続くか終わるか、という瀬戸際を迎えていた。各占拠中のAudimaxからクリスマス休暇に近づくに従って、学生自体が段々とクリスマス休暇を家族と過ごす為にいなくなっていたことは、年内最後の書き込みでも御伝えした通り。 現にバイエルン州ではクリスマス休暇後の再占拠という譲歩を引き出して大学構内の全休に合意したレーゲンスブルク大学の占拠グループのケースを除いて、Audimax占拠は終わりを告げることになった。特に、ミュンヘン大学では大学側がクリスマス休暇に入ると同時に構内を閉鎖し、大学当局の委託をうけた外部のセキュリティ会社が、学生の出入りもとい暖房、トイレの使用をすべて断った。結果、学生は糧道やライフラインを断絶された上、朝６時半に警察による強制排除という事態を迎えた。このことは、メディアでも大きく報じられたが、この大学側の非人道的姿勢に対して、特にこの時期の排除に関しては、小生がメディアの反応を見た限りさすがにほぼ否定的な論調が多かった。 この大学占拠の発信元であったウィーン大学でも12月21日に警察の介入によるAudimaxの強制排除がおこなわれた。ただしプロテスト自体はAudimaxとほぼ同じ大きさのC1講義室に拠点をうつして相も変わらずに活発に続いている。排除直後の夕方には1000人ほどの学生たちを集めてウィーン市内にてゲリラデモを決行して、来年以降のプロテストの続行、そして今回のドイツ語圏での大学のプロテストの発信点としての底力を印象づけた。 Audimax強制排除当日夜のウィーン市内でのデモの模様。 「こんなこと（つまり強制排除）に税金つかいやがって、ありえねー！」とウィーンにある国会の前で学生たちは叫んでいる。 「おれたちがここで騒がしいのは、てめえらが俺たちの学問の場をうばったからだ！」 「学問をみなに、それも無条件に！」 その他のウィーン大学から発信されたビデオはここ、もしくunibrennt.tvから。 ミュンヘン大学のストリーミングの模様。 ミュンヘンのケースはかなり極端ではあったが、逆にTwitterやライヴストリーミングメディアを利用して、外部そしてマスコミを大きく巻き込んで強制排除を回避したケースもある。大学側とクリスマス休暇に合意してAudimaxを死守したレーゲンスブルク大学でも、１２月２３日午後早々、Twitterを通じて、排除の気配あり！一報がが伝えられたが、なによりも回避に成功したとも思われるのは、それを読んだメディアがすぐその気配をかぎつけて現場にかけつけたところ、大学当局側があまりにも早いメディアの来訪にとまどったということ、そして、なによりも学生グループはその模様もUstreamやYoutubeなどのストリーミングメディアを通して、排除の迫った大学当局より外部より閉鎖された内部の模様をライブ中継をしていたことも大きかった。そして、開始直後には、Twitterを通して、ものの十分の間にそのストリーミングのアドレスがフィードバックなどを通じて数十ならんだのは壮観であった。その上、Twitterを通じてレーゲンスブルク大学当局およびプレス担当の電話番号が瞬く間にTwitter上にあがり、苦情の電話を掛けて大学の電話回線をパンクさせろ！という書き込みがあったほど。ある種の情報戦の様相を呈していたのはいうまでもない。 結局レーゲンスブルクの学生グループは土壇場で大学当局との事実上のクリスマス休戦協定を結ぶことに成功した。もちろん、多くのメディアの注視の中で。その様子を地元のMittelbayerische Zeitung中部バイエルン新聞がポッドキャストで配信している。1月6日にまでの大学側の要求するクリスマス休暇を彼らは受け入れたものの、年明けにAudimaxを再占拠する条件を大学当局に飲ませることに成功したのだった。この方法で、このプロテストがはじまった大学の一つである、ウィーン芸術アカデミーも同様に排除を回避した（しかし、31日の現地時間の早朝警察によって強制排除にあった模様）。そして、ベルリン自由大学やポツダム大学も23日に排除を回避している。 このことは、再びドイツやオーストリアの学生グループの占拠を再び大きくクローズアップさせることになったし、ほぼすべて年内にAudimaxが占拠されていた大学で、占拠が新年を越えてほぼ継続することになった。新年を迎えて、このプロテストがどのように発展していくのか、それとも、過去の10年に二回起ったプロテストのように先細りになっていくのか。それはすべては占拠にかかわる学生たちだけでなく、すべての学生にかかっている。まずは、どう時間が立つことによってAudimaxから離れていった学生をよびもどしていくか、それにかかってくるだろう。新年を迎えるとすぐこの課題と向き合うことから始めなければならない。なによりも年があけるやすぐ1月末にはバチェロアの学生たちは学期末の試験期間に突入することになるのだ。 ベルリンでは、1月6日に新年最初の学生総会がフンボルト大学本校舎占拠継続中のAudimaxにて16時から開催される。 ではまた自戒。]]></description>
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		<title>Audimaxismus！(上)</title>
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		<pubDate>Sat, 02 Jan 2010 06:23:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<description><![CDATA[10月27日、ウィーン大学占拠直後の模様。( ウィキペディアより） ドイツではBildungsstreik, wir machen weiter!（「教育デモ、継続中！」）、オーストリアでは#Unibrennt（「#大学爆発!」）と昨年ドイツ、オーストリア、スイスを覆った大学占拠の波。オーストリアのメディアは一年をしめくくるにあたり、去年一年を代表する言葉のひとつに&#8220;Audimaxismus&#8220;と言う言葉をあげた。選考理由は、1920年代にウィーンを中心に勢力をもったオーストロマルキズムAustromarxismusを連想させるこの言葉は、やはりこの他のイズムと呼ばれる言葉が往々にいして反対批判勢力から名付けられたように、オーストリアの保守系メディアによる命名なのだが、それでも、教育現場の問題をAudimax占拠というプロテストを通じて国全体の問題として公にしたそのポジティブな影響を考慮して、とのことだ。 小生個人的には、このプロテスト自体が、この保守系メディアなどのパッシングをも乗り越えるためにも、このオーディマキズムスAudimaxismusという言葉自体を、自分たちのムーヴメントそのものの名称として受け入れること自体も可であるように思える。ドイツでは&#8221;Bildungsstreik, wir streiken weiter!&#8221;、オーストリアでは&#8221;#unibrennt!&#8221;、スイスでは&#8221;Education is not for sale!&#8221;など、それぞれのスローガンがあるにしろ、むしろ、このオーディマキズムスAudimaxismusという言葉を自分たちから積極的に発信するような居直りもナマイキさも非常に効果的かと思える。 さて、昨年はドイツ語圏三か国のみならず、フランス、イタリア、クロアチア、そして学生たちのプロテストに対して非常事態宣言も出たギリシャなど、ヨーロッパを学生によるプロテストが猛威をふるった年になった。この傾向は今年も続くことになるだろう。巷やメディアではHeißer Herbst「熱い秋」がささやかれて久しかったが、もはやHeißer Winter「熱い冬」ともいえるだろう。 2009年の学生運動は全世界的規模だった1968年のものに匹敵するまでもいわないまでも、2010年こそはそれに匹敵ぐらいにする、とプロテストに参加する学生たちは熱をこめる。それぐらいのネットワークがヨーロッパ中の学生にできつつある、ドイツ語圏の三か国では間違いなくそれがかなり確実になってきたという実感が小生の中にはある。 ウィーン大学のグループによるこの#Unibrenntついての「プロモ」ヴィデオ。 #unsereuni &#8211; Technik, Zahlen, Netzwerke from Dominik Gubi on Vimeo. なによりもこのプロテストで特筆に値するのは、既存のメディアだけでなく、インターネットのそこここに存在するソーシャルネットワーキングシステムやそこで勢力を拡大しつつある独立系のメディア（例えば、indymediaなど）をフルに動員したということだ。今回のプロテストではどこの占拠グループもインターネットを活用したブログやそれぞれの要求や活動内容、そして作戦会議の詳細のプロトコルなどを公開する場所として、オープンソースのメディアWikiをつかって各大学の占拠グループそれぞれのWikiをもっているし、また、Ustreamなどのインターネットを介して全体総会の模様などをストリーミングメディアでライブ配信したり(ウィーン大学のグループは独自の動画サイトももっている）、またYoutubeやVimeoといった動画共有サイトにてデモや総会の模様などを公開する他、Flickr（リンクはウィーンの占拠グループのサイト）などの写真共有サイト、などなどをフル利用している。この独自の情報を発信する形態は、間違いなくこれまでの学生運動とは様相を異ならせる。例えば、先日紹介したフランクフルト・アム・マイン大学の警察の強制排除についてのドキュメントヴィデオはこれまでにすでに30万回以上の視聴を記録している。 特に、TwitterやFacebookなどのメディアやSNSをつかった情報の共有発信はこの2009年とこれからのプロテストを語る上では非常に重要な役割をになっている。むしろ、メディアのほうが学生の占拠グループのプレス発表を追いかける形となった。それでも、既存メディア、特に保守系メディアとの軋轢もあったことも見逃せない。特にSpringer-Presseなどの保守系メディアは、小生の属するフンボルト大学のグループだけでなく、その他の占拠グループにたいして「左翼の暴れもの」「ヴァンダリズム」などのレッテル張りに終始した中身のない紋切り型の記事をかきたてた。 オーストリアの学生がまとめたTwitterを介したドイツ語圏でのトラフィック拡大地図。 それでも、昨年の大晦日の日の書き込みで紹介した通りドイツのプリントメディアの反応は、学生プロテストに大しては大概好意的に推移していった。その傾向は年末、このプロテストが、ここ20年のプロテストが越えることのできなかったクリスマスもとい大晦日越しを果たしたことで顕著なものとなった。 続きはまた明日。自戒。]]></description>
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