日本語以外の言語でもなにかかくべかな、と思って、Tumblrというところにもうひとつブログを作っておいたのだけれど、ほとんど手つかずで、ひさびさに昨日、一昨日と更新したのをきっかけに、一念発起、デザインも一応リニューアル、タイトルも変更した。

向こうに見える橋がボルンホルマー橋、そしてボルンホルマー通り駅。18.2.2009

小生がこの5年ほど住まう家からの最寄り駅をこの度タイトルにしたのだけれど、この駅のちょうど上に、ボルンホルマー橋があってプレンツラウアーベルクとウェディンクというふたつの地区を結んでいる。この橋のたもとにはかつて、今から20年前、1989年11月9日夜のベルリンの壁の崩壊に際し、一番最初に開放された東側の検問所があった。この日このボルンホルマー橋を通って、初めて東ベルリンから西ベルリンへとむかったという友人も多い。駅自体は当然東西冷戦の最中は閉鎖されたままで、東西分割時に、ベルリンに数多くあった、駅自体は存在するものの東西ベルリンをまたがって走る路線の上のため、電車は通過するだけのいわゆるGeisterbahnhof、通称、幽霊駅のひとつだった。

ベルリンの東西分割、もとい東西冷戦の象徴のひとつでもあったこの橋は西ベルリン市民だけが通過できたという。その逆はもちろん不可能。それが、20年前のあの日どのような熱狂につつまれていたのか、今やそれを直接知る由は、日中交通量が多い以外なにも特筆するべきこともないこの橋の上やたもとに立っているだけではまるでない。それでも、今でも毎日、ベルリンの壁の跡にそって歩きながら東西分割時代のベルリンと20年前のあの記念すべき日の面影を尋ねて、はるばるベルリン中心部のはずれにあるこの橋のたもとにまでやってくる観光客は絶えない。この駅はベルリンの北の郊外と中心部とを結ぶ地点にあって、駅自体は乗り換えの客でいつも人が絶えることはない。

2006年のベルリン中央駅開業にあわせて、ベルリン周辺の鉄路が再整備され、ベルリンから北へ向かう中長距離列車がこの駅を再び通るようになると、この界隈は列車だけでなく貨物の通過する音でとたんににぎやかになった。小生もほぼ線路の側に住んでいるのだけれど、とはいえ特に騒音に悩まされることもないし、家の部屋の窓やベランダから様々な列車や貨物が通り過ぎるのをみるのも悪いものでもない。ロストックやポーランドのシュチェチンへとむかうICEもこの駅の側をここを通るようになったし、一度、夏の朝帰りの時には、スウェーデンのマルメからはるばる海をわたってやってきた夜行列車もみかけたこともしばしば。

こうして、この駅と橋は東西ベルリンを隔てる緩衝地帯に取り残された状態から、ベルリンという街の内と外をつなぐ本来の姿をとりもどしたわけだけれど、ある種のトランジットスペースとしての役割は、東西分割の時代を越えて、現在にいたるまで全く変わっていない。都市にはこのような「敷居」ともいえるような象徴的な場所が種々ある。過去だけでなく、現在と僕らの日々の生をつなぐような。 この駅のある橋の上、もといこの駅の中で日々立ち止まる人はほとんどいない。みなこの駅へなにかにせきたてられるよう橋の両側から足早にやってくる、そして、次々とやってくる列車へと乗り込む。この駅へ列車で到着する人たちも、次々に橋の上の駅舎から、そして橋の東西へと足早に家路につく。しかし、そこは人々が通り過ぎることによって生きられる、現在だけが息ずくような空間なのだ。

恒例の地図で場所を確認。真ん中上にあるSがボルンホルマー通り駅。

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このBerlin-Bornholmerstr. では引き続き英語や独逸語での雑念だけでなく、主に小生が日頃撮り散らしている写真、ベルリンでのイベント、演劇、パーティーなどの情報をアップしていく場所にしていこうかと思ってます。アップがLügenlernenよりはるかに簡単なので。将来的にはこのLügenlernenに統合していこうかと思っているのだが、技術的な制約と小生の知識のなさもあって、なかなか実現しないところ。まあ仮の場所とおもわずにいろいろやることにします。Feedならびに購読よろしく。以上、おしまい!

うわあっ、忘れたらあかん、アドレス。よろしゅうお願いします。まだまだ自戒が足らぬわ。
http://berlin-bornholmerstr.tumblr.com/

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