ドイツの教育システム。

昨年6月のデモにて。ベルリン・フンボルト大学前にて。その他写真はここから。

昨日の続きについて入る前に、今日は先日から論議の俎上に登っているドイツの教育システムとその変化、そして、その原因となったボローニャプロセスについて、小生なりの見解をまぜながらおさらいしておきたい。

ドイツ語で学問や勉学(特に大学での)のことをBildungというが、これは「自らを形づくる」という風にも解釈できる通り、ドイツの大学システムはつい先だっての教育「改悪」に至るまでは、専攻の選択や変更、専攻内の科目の履修などもふくめて、卒業にいたるまでの道筋を100%自分自身でつけること、自分で勉強したい内容、科目などを選択することがもっぱら重視されてきた。人文系ではMagister、そして理系ではDiplomと、これは長年ドイツが誇る教育水準の高さの象徴ともいえた学位であった。

そして、特筆すべきは、哲学と数学という日本の大学ではまずありえない専攻の組み合わせ(哲学史をひもとけばいうまでもなくこの組み合わせは実に理にかなっているのだが)も可能だし、また、専攻外のことも必要に応じて学ぶこともできた上、そこでの単位も柔軟にみとめられていた。日本の大学にあるような、学期前学期後の履修科目の登録や単位の集中管理、試験期間中の無駄なストレスなど、そして単位をめぐっての学生課とのあえない戦いなどほぼない。仮に学期内に単位をとりもらしたり、課題を出し損なったとしても、小生の経験からすれば、提出すればほぼ100%単位はもらえる。なにがしら、不満あるとすれば、試験の申請から実施までの果てしない待ち時間ぐらいであったが。これは時には、中間試験や卒業試験の場合は半年から1年ほどかかる場合がある。

そして、ベルリンに限って言うなれば、大学では加えて学費は払う必要はない。学費が導入された旧西ドイツを始めとする各州でもセメスター単位500ユーロほどで、それに加えて、せいぜいドイツでの生協にあたるStudentenwerkの共済費、そして、大学のある街の公共交通機関の学期定期など、ベルリンではしめてせいぜい一学期250€ほどを払えばすむから、日本にくらべれば、負担はそれほどにも見えない。それに学生は学割、という日本ではあってないような恩恵を様々な場所で享受することができる。それもあって、Langzeitstudent(長期間登録学生)という言葉に代表される通り、10年つまり20ゼメスターをすぎても卒業しないで、ただ登録しているだけの学生なんてのは、旧システムのころにはザラにいたのである。

この制度には長年賛否両論があって議論がつくされてきた。
この大学制度への賛成論。まず第一に自由学ぶ意欲こそが、ドイツの教育水準の高さを維持しているのであると。そして学問の自由を維持しているのであると。要するに理想論も入っている。それでも、ドイツの教育水準は他の世界中のどこの国々と比べてまだまだ傑出していることに異論を唱える人はいまい。人文科学だけでなく自然科学の分野、つまり、経済にしても工業の分野にしても、この教育水準の高さなしには国際的な地位の高さはありえない、つまり、人こそが資本であるという主張。
そして、なによりも、教育や学ぶことは基本的人権の一つなのだから、それを維持するのは国家の義務であるという主張が依然としてある。いわゆるヨーロッパ近代のヒューマニズムや人権思想に根差した主張。そして、そのことによる学ぶ/教える現場への経済原理の排除。大学の独立性の維持。

その点では、多分、今の日本やアメリカの教育や大学の現場ほど、今ドイツの教育システムがかろうじてまだ維持している学問の経済的原理からの不干渉をなし崩しにされている場所はない。教育もとい学ぶという基本的人権がないがしろいにされている。それを基本的人権の一つとうたっておきながら。アメリカでも、ほぼ時を同じくして、現在カリフォルニアを中心に学費値上げに対する学生の反発からヨーロッパ同様各地の大学でプロテストもとい占拠運動がおきている。

北アメリカ大陸での占拠デモマップ。


View American Student Activism 2009-10 in a larger map

もちろん反対論もある。

科目によっては、卒業率が5%にも満たない学部があるということ(哲学、神学や美学など特に人文科学の分野)、そしてLangzeitstudentたちや卒業できない学生に費やされる教育費。つまり、この大学のシステムは金がかかってしかたがないということ。金なしには、教育も学問もへったくれもないという現実。これもまた事実なり。そのことに異論はない。
また、この5年生の教育システムはヨーロッパや国際的にもみてもかなり独自で、国外の大学制度との互換性がないということ。交換留学中に取得した単位が認めれないなど、国際的な学生の流動性の面での問題もあった。

その解決策として期待されていたのは、99年に当時のEU加盟国の教育担当の大臣によってイタリアはボローニャで合意された条約、ヨーロッパ内の教育の新しい枠組みを想像するという理想をかかげた、通称ボローニャプロセスであった。

次回はこのボローニャプロセスとそれがもたらした問題点について議論を続けます。

ではまた自戒。

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