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ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。 Read More

突然の再会お許しあれ。 前回は次のリンクより。 国境を越えるときにはいつもなにか起る。おもいがけなく4週間にもわたった旅してきたトルコを後に小生はグルジアへの入国を間近に控えていた。 トルコを出国し、グルジア側へと歩を進め、他のバスの乗客数人と検問所の前に列を作って並んでいたときのことを思い返しているうちに、2005年の秋にはじめてウクライナにいったときのことを思い出した。 また別の国境越え。 Read More

ゴンブローヴィッチ「日記 1953-1969」

旅行することがなによりの趣味であり、もはや生業のひとつとなっているのにもかかわらず、これは自分が一人で旅しはじめてから相変わらずなのだけれど、その旅という個人的体験、いわゆる旅行記なるものを綴ることが未だに面妖でしかたがない。いまだ完成されない過去の旅行の記憶を目の当たりにして、それが自分の肉なり血となっていること、ロゴスという別のフォーマットに、自分の記憶の中にある体験の一コマ一コマを移し替えるという作業の意義を、疑う余地はないのだけれど、それをどう移し替えるか、つまり、言語という形式で書き出す作業はいうまでもなく、それをどのような形で整理し直すか、ということが、この作業の最大の難関の一つなのだ。どこを旅していつどこでなにをみたか、どのような道のりをたどったか、というような記録を残すのは、書き始めはいいとしよう、しかし、段々と面倒になるし、時間が経つにつれて記憶は曖昧になるし、作業自体は正直なところ面倒だ。それにその作業自体はあまりにもありふれている。小生は面倒くさがりの物臭者なのである。 Read More

ナチブロック。5月1日朝。Ostseestr.

小生、人生初めてスリに会いました。よりによって愛すべきクロイツベルクはOranienstr.(多分)にて。 今年の年初に日本へ帰国中、デジタルボヘミアン必携の飛び道具ともいえるiPod touchを購入した。iPhoneではなくiPod touchを買ったというところが、小生なりのひねくれ具合を示すバロメーターのひとつなのだろうが、電話までアップルのロゴに頼る必要はないといまのところは思っている。通信料が高い。いまのところそれも相まって食指がのびない。大学と自宅と暗室のあるWerkstadtを行き来するのみの日々、しかもそこではネット接続が可能ということもあって、わざわざ電車や通りでネットに接続する必然性を全く感じない。それどころか、移動中ぐらいネットとそれに関わる多忙さから逃れたいと常々思っている。 とりあえず、iPod touchは便利。だったというべきか。仕事場などや行き先にネット接続が保障されている人にとっては、これほど便利なものはない。一時期小生のトレードマーク(と大学ではよばれていた)ともいえるMacBookを全く持ち歩かなかった時期をあったぐらいだからだ。iPod touch特有のタイピングにもすぐさま慣れる事のできた小生は、ブログやTwitterの書き込みもいつからかiPod touch経由で行うようになっていた。 ところが、5月1日。クロイツベルクでの恒例のメーデーでのドンパチ騒ぎのあとOraniennstr.を闊歩していた小生はそのiPod touchを盗難にあってしまった。スラレタというべきか。一瞬のことだった。 Read More

昨日、帰宅中丁度、道路清掃が小生の住んでいる界隈で行われている最中だった。冬の終わりの行事の一つ。道路の凍結防止剤をスコップで回収している音とその後を道路清掃の車が水を巻いている音を角の向こうから聴きながら、春が近いんだな、とようやく実感。それでも、夕方7時半ごろでもすでに氷点下はきっているさむさではあったけれど。 今年は雪が降りに降った。そして、寒かった。日中氷点下10度前後の日もなんどかあったほど。雪はとけず、年末からついこの間の2月の末までのベルリンはあたかも「氷河の中に閉じ込められた」と様々なマスコミが報じる程、ベルリンの道々は氷に覆われる日々が続いた。この一週間程の気温の上昇で、ようやく雪解け。 Read More

トラム路線図

最近あまりトラムのM1にのらなくなった。けれど、昨日はお日様もみえていたので、家からMauerparkを通ってひさびさにKastanienalleまでぬけて、そこからHackescher MarktまでM1にのった。マイクをまわしたのはRosenthaler Platzから。最後のほうで"Das gibt's doch gar nicht!"(ありえんぞ、おんどれ!)って小生がきれているのは、トラムが停留所に停止しているにもかかわらず、扉が空くと同時に小生にたっていた扉の前を通過して急停車した車がいたからで、小生は左右をよく見ていたのと、このHackerscher Marktの電停の前ではそういうお馬鹿なお上りさん車がそういう交通ルール無視もとい停留所無視をするのはいつものことだったので(車はバーデン=ヴュルテンベルクからおこしのお上りさんが御運転)、ことなきを得たが、かなりのスピードでつっこんできたから危ないといえばかなり危なかった。隣の扉からおりたお姉ちゃんが、小生の背中の向こう側で、その車にきれてバンパーをバンバンたたいてきれていたが、その音はどうもひろっていなかった。残念。 Read More

昔日本にいるころ良く集音マイクとMDをもってよく東京都内津々浦々をサンプリングと証しながら色々音を集めてまわっていたのだけれど、そんなこともベルリンに来て以来、いつしかしなくなって久しい。最近、いつももって歩いていたフィルムカメラが二台とも壊れて、すでに2ヶ月くらいになるのだけれど、そんなわけで写真もとらなくなった。デジカメは相変わらず持ち歩いているのだが、当然のことながら満足のいく像はえられないし、最近はやたら動画をとることにしか使っていない。 とった動画の映像をみていると、(いうまでもなくデジカメの動画機能でとったものだから像の質は当然のことながらよくはない)、意外や意外、録音された音の方にこそむしろ関心がゆく。人間の目とカメラとの関係同様、人間の耳とはまた別の音をカメラは録ったりもする。そしてその録った音からその音が録れれた場所の像をイメージする、そして、ロゴスから出力する、という作業を今、バルカンでとったビデオを見ながら行っている最中なのだけれど、それを突然ベルリンでもやってみたくなった。 Read More

峠をこえてしばらく下っていく道は左右に小コーカサスの山並みが遥か彼方まで見渡せる絶景。そんな道をしばらく下っていくと、ちょっとした町の側を通りかかる。バスはその町のバス乗り場でしばし休憩。ドライバーのおっさんがパスポートを集めにやってくる。頭をつるつるに丸めたおっさんはトルコ人のおっさんの例にもれず、やはりやたらめったら愛想がいい。なにか小生にしゃべりかけてくるのだが、相変わらずトルコ語はわからない。すると、苦笑しているのか愛想笑いしているのか半ば自分でも判然としない小生の頬をつねってくる。もうこうなると、どうしていいのかこまって笑うしかない。 Read More

カメラのない旅は気楽だと思う。10年以上にわたって写真を全く撮らなかった。その間に世界中それほどでもないけれど、色々いった。足をとめるとような対象があれば、それを穴があくまでみてやろうとする。そして、気がすめばゆく。気がすまなければ、そのままずっと気がすむまでいればいい。カメラがあると、どうもそこまで対象をみてやろうという気がマックスでそのカメラがないときと比べても半分ぐらいなような気がする。それでもいいだろう。カメラの目と小生たち人間の目は根本的に作りが違う。そのカメラの目にゆだねてみるのも一つの方法だろう。でも、小生はそれに我慢がならなかった。我、写真を信ゼズ、と。 Read More

日記4

6年前は写真など全くとっていなかった。高校生の時、もうすでに12年以上前、ひねくれていたほどではすまなかった小生は、かつてそれをつかっていやというほど写真を撮り散らしていたキャノンのFtBをある日突如机の中奥深くにしまいこみ、突如写真を憎悪するようになってしまった。3年前の夏京都の実家に帰ったおりふとしたことから、引き出しから再び取り出すまで。なにがきっかけだったのかは全く覚えていない。 6年前は約2年のブランクをおいて、ひさびさにバックパッカー復帰を果たした年でもあった。ベルリンにやってきて二年目。一年目は旅行どころではなかった。その前の年2002年は、ベルリンと京都と東京を行ったり来たりする生活。東京を離れる決心をして、ベルリンにやってくるもそこでは苦労の連続。住居も定まらず。大学がようやくきまり長期滞在用のヴィザも取得し、ようやくベルリンでの生活が軌道にのりはじめて2年目の2004年の夏は全く晴れ間がでないほど、夏といえないほど天候。そんななか、7月になり突如ドイツ人の親友Sがバルカンにいかないかと誘ってきた。 どこへ? アルバニア。 乗った。 Read More